3. 静かなる自然の抱擁
ある日、朝の自由な時間を利用してホテルの周りを少し散策した。
実に爽やかな朝である。子供たちも明るく元気だ。
こうした静かな湖の水面(みなも)の輝きを見ていると、街に暮らし常に何かと葛藤して生きていた小さな自分が見えてくる。もっと、ありのままの自分をさらけ出し、眉間(みけん)にシワを寄せずにすむような生き方をしてみたい。
子供の頃、確かに私はこんな場所に住めることを望んでいたはずだ。それがいつしか都会の喧噪に埋没し、次第にその夢を忘れて別の遠くを見るようになった。木もれ陽さす湖のほとりに小さな家を建てて暮らしてみたいと夢見ていたはずなのに、ふと気が付くと、四角いコンクリートの箱の中で膝をかかえている自分を見つけてしまった。それが満足ならばそれでいい。しかし、真実の私はそうではない。日々“勝ち組”となるため他者と争い自己と戦うほどに、“真の価値”を一層に見失っていく馬鹿げた都会という法則に背を向け、一目散に逃げだしたいと思っていた。あらゆるしがらみと重い鎧を脱ぎ捨て、早く解放され楽になりたかった。
もう、成功者などと呼ばれたくはない。未だ手にはしていないけれど、人に尊敬されるための地位 や名誉も今は欲しくない。そうした向上的思想を、私に与えようとする人たちさえすでにうんざりだ。
嗚呼、そうした煩わしい思考さえも、この景色を眺めていると自然に消えていくようであり、今こうして、ほんの少し心の角度を変えてみるだけで、全ての環境が静かに変化していく気がする。
再び、あの友の言葉を思い出していた。「お前の正しさの全てを捨てろ。正しさも勝つことも、他との隔たりと争いを生むだけだ。何かが足りないのではない、余分な物をいっぱい身に付けすぎていることに気付け。何かに成る、何処かに至るというあらゆる向上心(実は強迫観念そのもの)を捨てない限り、人は幸せになれない」。
何年も前から念望してきたことではあるけれど、“都会という宗教”の妄想をかなぐり捨て、いよいよ街を離れようと心に決めた瞬間であった。
目次
(※青色のページが開けます。)
プロローグ
第一章 旅立ちの時
- ストックホルムの光と影
- この国との出会い
- 晴天の雲の下
- バックパッカー デビューの日
- 袖すれあう旅の縁
- 百年前の花屋は今も花屋
- 郷愁のガムラスタン散歩
- バルト海の夕暮れ
- 船室での一夜
- これぞ究極のアンティーク
- 古(いにしえ)の里スカンセン
- 過信は禁物-1[ストックホルム発・ボルネス行 列車での失敗]
- そして タクシー事件
第二章 解放の時
- 森と湖の都ヘルシングランド
- 森の木に抱かれて
- 静かなる自然の抱擁
- 小さな拷問
- 私は珍獣パンダ
- ダーラナへの道-左ハンドルのスリル-
- Kiren
- 故郷の色"ファールン"
- ダーラナの赤い道
- ダーラナホースに会いにきた
- ムース注意!
- 白夜の太陽
- 過信は禁物-2[ボルネス発・ルレオ行 またも列車での失敗]
第三章 静寂の時
- 北の国 ルレオでの再会
- 雪と氷のサマーハウス
- 白夜の国のサマーライフ
- 焚き火の日
- ガラクタ屋とスティーグ
- ミスター・ヤンネ と ミセス・イボンヌ
- 田んぼん中の"ラーダ"
- 中世の都 ガンメルスタード
- 余情つくせぬ古都への想い
- 流氷のささやきに心奪われ
- 最後の晩餐-ウルルン風-
- 白夜の車窓にて
- ストックホルムのスシバー
- 旅のおまけ["モスクワ"フシギ録]
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