
13. 過信は禁物-2[ボルネス発・ルレオ行 またも列車での失敗]
全く自慢にはならないが、トラブルなしには一歩も前に進めないのが私の常であるようだ。
アルフタとダーラナでの滞在を終え、トモコたちが迎えるルレオに行く夜行列車に乗るためにボルネス駅に来ていた。本当であれば「再び」と言うべきところであるが、前述のような理由により初めて見る駅なのだ。夜行というだけあり、出発は夜の8時23分。駅に到着したのは昼過ぎであったので、実に8時間もの暇をつぶさなければならない。
街を歩いて、公園のベンチで昼寝をし、ビールを飲んで本を読み、また散歩をして、今度は駅のベンチで本を読む。そんなことをいくら繰り返してもまだ2時間以上もある。ちょうど小腹も空いてきたのでハンバーガーでも食べに行こうかと、大きなトランクをベンチの足にチェーンで括りつけ、また街へ出た。
一時間ほどして駅に戻ると、なぜか駅舎のドアが閉まっている。裏の方に廻ってみたがやはりドアは開かない。見ると、何やらスウェーデン語で駅舎の開閉時間を示しているらしい数字が書いてある。どうやら私の大きなトランクは、駅舎の中に閉じ込められてしまったようだ。駅舎内には人の気配が全くない。とりあえず外を歩いている人に誰かれ構わず助けを求めようとした。
ある人が警察へ行けと道順を教えてくれた。説明があまりに長いので、途中で制止して、歩いて何分かかるのかと尋ねると「その道を5分歩いたら左へ行き」と、また同じ説明を繰り返そうとする。どうにもならない。他の人に電話はどこにあるかと聞いても誰も知らない。さっきのファストフード店まで、疲れた足を引きずり電話をかけに行く気にもなれない。
いっそ大きな石でガラスを割ろうかとさえ考えたけれど、私の身体と大きなトランクを出すだけでもけっこう大変であり、第一、警察沙汰にでもなってはそれこそ大ごとだ。こうした時には結局待つしかない。駅舎横のゲートからホームには自由に出入りができるようになっているので、そこのベンチでしばらく待つことにした。さすがに少し寒い。
定刻通りに列車が来たので、少し大げさに慌てたふりを装い、車掌にトラブルを訴えた。すると彼は平然として、明日の朝7時まで待てと言う。冗談ではない。急ぐ事情はないにしても、ホームのベンチで一晩過ごし、その上、次の列車が来るまでの退屈を考えただけで気が遠くなってしまう。セキュリティー会社に電話をしてくれと言っても、鍵は駅員しか持っていないので無駄だと言う。試しに、(この間の腹いせのつもりもあり)列車の出発を遅らせろと言ってみたけど、当然無理である。
この前は、あれほどいいかげんなダイヤで私に迷惑をかけたくせに、と思っても詮なきこと。さらに困ったふりをして見せると、その車掌がようやく発展的な提案をしてくれた。私だけ先にルレオに行き、明朝ボルネス駅へ電話をして、次の列車でトランクをルレオに送ってもらえということになり、難なく解決を見た。そう慌てるほどのことはない、簡単なことだったのだ。
ルレオまでは約11時間の道程みちのりだ。ともかく、初体験である夜行列車の旅を楽しもうと思った。
とはいえ、食堂車でビールを飲んでも旨くもない。持っていた本は読み終わり、ウォークマンの電池も切れた。読むべき本もなく、聴く音楽もなく、話す人もいない列車の旅はやはり退屈でやりきれない。車窓の外も次第に暮れていき、白夜も終わった。
前の席に座るドイツ人のカップルは、二人の会話に夢中で私のことなど全く無関心を装っている。メキシコ人らしき酔っぱらい男が陽気な振りで声をかけてきた。けれど、その言葉は英語でもスウェーデン語でもなく、まるで分からない。よく聞けばアラブ系の言葉のようでもある……。などと思うのみで、考えるという唯一の楽しみすら乏しくなってきた。通路向う側の席にいるスウェーデン娘が私に微笑みかけた。でも彼女はすぐに前を向き直し、やはり恋人との会話に夢中になっている。
これでは多少言葉ができたとしても、コミュニケーションの困難さに大差はないであろうと思えた。私のしかめっ面 のせいであろうか。こんな時、楽器の一つでも弾くことができたとしたら状況は一変するのに違いない。それとも、“音楽は国境を越える”といったような感動シーンはテレビ画面 の中だけのことなのだろうか。ともかくも、私にはそうした才すらないのだから、思うだけ詮ないことだ。
少し疲れたせいか、次に前に座った人に挨拶をする気にもなれず、ただ一人座っている。だからビールもまずい。スウェーデンのおおらかさに、何だかもてあそばれているような気持ちになっていた。ちょうど、片想いの女性に相手にされず、すねているような気分だ。
言葉の弊害など気にしていない振りをしていたけれど、本当はとても不自由な思いであり、少なからぬ ストレスになっていたのだろう。そのことに今初めて気付いたような気がする。
また目の前に座る住人が変わった。今度は席につくなり、いきなりキスを始めるような若いカップルで、食事の間中、終始キスを繰り返している。コッテリしたソースのいっぱいかかったハンバーガーを一口食べてはまたキスをする。そのうちにセックスでも始めてしまうのではないかと心配するほどである。彼らには、私の姿が目に映っていないようだ。うんざりした気分になり、私は席を立ち自室に戻った。
不機嫌というわけでもないが、なぜか焦心している自分がいた。この空間も窓外の景色も、やはり私のものではないことを思い知らされた感じだ。仕方なく私は、ほどなく寝台に上り列車の揺れに身を任せながら眠りについた。

目次
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プロローグ
第一章 旅立ちの時

- ストックホルムの光と影
- この国との出会い
- 晴天の雲の下
- バックパッカー デビューの日
- 袖すれあう旅の縁
- 百年前の花屋は今も花屋
- 郷愁のガムラスタン散歩
- バルト海の夕暮れ
- 船室での一夜
- これぞ究極のアンティーク
- 古(いにしえ)の里スカンセン
- 過信は禁物-1[ストックホルム発・ボルネス行 列車での失敗]
- そして タクシー事件
第二章 解放の時

- 森と湖の都ヘルシングランド
- 森の木に抱かれて
- 静かなる自然の抱擁
- 小さな拷問
- 私は珍獣パンダ
- ダーラナへの道-左ハンドルのスリル-
- Kiren
- 故郷の色"ファールン"
- ダーラナの赤い道
- ダーラナホースに会いにきた
- ムース注意!
- 白夜の太陽
- 過信は禁物-2[ボルネス発・ルレオ行 またも列車での失敗]
第三章 静寂の時

- 北の国 ルレオでの再会
- 雪と氷のサマーハウス
- 白夜の国のサマーライフ
- 焚き火の日
- ガラクタ屋とスティーグ
- ミスター・ヤンネ と ミセス・イボンヌ
- 田んぼん中の"ラーダ"
- 中世の都 ガンメルスタード
- 余情つくせぬ古都への想い
- 流氷のささやきに心奪われ
- 最後の晩餐-ウルルン風-
- 白夜の車窓にて
- ストックホルムのスシバー
- 旅のおまけ["モスクワ"フシギ録]
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