4. バックパッカー デビューの日
さて、すったもんだの騒動をようやく切り抜け、初日の宿泊地であるシェップスホルメン島の“アフ・チャップマン”というユースホステルの前にバスが止まった。都会の袋小路といった感じのするこの小さな島は、中央駅から南東に向かいわずか10分少々で着いてしまう。向こう岸に見える喧噪の地とは無縁のように静かなところだ。
運転手に「着いたら教えてくれ」と頼んでおいた(この方法が一番、乗り過ごす心配がない)。「タックソーミッケ(ありがとう)」と言い、降りようとする私に、彼は「1時間以内なら、この半券チケットで何度でもバスに乗れるよ」と教えてくれ、「ウエルカム・トゥ・ストックホルム」と歓迎の言葉で私を送った。この国の人々は皆、旅人に優しい。私は、もう一度タックソーミッケと繰り返し、2日ぶりに笑顔をつくった。
バスを降りた私のブーツのかかとが“カツン”と音を鳴らし石畳の道を踏んだ。ここまで来て、ようやく気持ちがワクワクしてきた。予約も取っていないユースホステルへ乗り込むといった、小さな冒険めいた気分になっていたこともあるが、何しろ、私はユースホステルなるところに泊るのが初体験であったのだ。
国立美術館を左に見て、小さな橋(シェップスホルム橋)を渡ったところがそうだ。バスを降りるとすぐに見える、海に浮かぶ白く大きな帆船がその宿そのものである。
シェップスホルメン島には二軒のユースホステルがある。しかし、私が迷わずここを選んだワケは、古い軍艦だった帆船をそのまま宿にしてしまっているという面 白さが気に入ったためである。ただ、ユース会員専用とガイドブックにあるので、非会員である私は少しの不安がないわけではなかった。けれど、それをも容易に打ち消すほどの興奮状態に私は包まれていた。
私は、いかにも旅慣れた風を装い、カウンターに肘をつき「アイ・ウオントゥ・ステイ・スリーデイ(3泊したい)」と中の女に言った。何気ない素振りをしていたものの、実は、私の下手な発音がかろうじて聞き取られたことに安堵していた。テレフォンカードや列車の乗車券を求めるだけでも、けっこう苦労させられたのを思い出したからだ。ユース会員ではない私は、いくらか高くはなったけれど、それでも1泊百90クローネ(1クローネあたり12円換算で約2300 円)だから満足するべきである。
この時、私はまさに憧れのバックパッカーを演じているという妙な快感すら覚えていた。普段であれば、ビジネスマンのヨロイであるスーツとネクタイでここにいるはずのものが、今日の私の風体は古い皮ジャンパーに手にはボロボロの革トランクといった具合だったからだ。いつもと違う服装であるというだけで、そこにいる誰からも奇異視される違和感を感じず、なぜか気持ちが随分と楽になっていた。とても自由になれた気がしていたのだ。
(後半省略)
目次
(※青色のページが開けます。)
プロローグ
第一章 旅立ちの時
- ストックホルムの光と影
- この国との出会い
- 晴天の雲の下
- バックパッカー デビューの日
- 袖すれあう旅の縁
- 百年前の花屋は今も花屋
- 郷愁のガムラスタン散歩
- バルト海の夕暮れ
- 船室での一夜
- これぞ究極のアンティーク
- 古(いにしえ)の里スカンセン
- 過信は禁物-1[ストックホルム発・ボルネス行 列車での失敗]
- そして タクシー事件
第二章 解放の時
- 森と湖の都ヘルシングランド
- 森の木に抱かれて
- 静かなる自然の抱擁
- 小さな拷問
- 私は珍獣パンダ
- ダーラナへの道-左ハンドルのスリル-
- Kiren
- 故郷の色"ファールン"
- ダーラナの赤い道
- ダーラナホースに会いにきた
- ムース注意!
- 白夜の太陽
- 過信は禁物-2[ボルネス発・ルレオ行 またも列車での失敗]
第三章 静寂の時
- 北の国 ルレオでの再会
- 雪と氷のサマーハウス
- 白夜の国のサマーライフ
- 焚き火の日
- ガラクタ屋とスティーグ
- ミスター・ヤンネ と ミセス・イボンヌ
- 田んぼん中の"ラーダ"
- 中世の都 ガンメルスタード
- 余情つくせぬ古都への想い
- 流氷のささやきに心奪われ
- 最後の晩餐-ウルルン風-
- 白夜の車窓にて
- ストックホルムのスシバー
- 旅のおまけ["モスクワ"フシギ録]
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