昔、もう15年以上も前になるだろうか……、うちの近くにヒロシくんというやつが住んでいた。
彼は私より1つか2つ若いだけの男だったけど、もっとずっと年下に見えた。
彼は頭も悪くなく、とても健康なやつだったんだけど、一つだけ困りごとを抱えていた。
彼は自閉症という心の病気を持っていて、そのせいで仕事にもつけず、40を過ぎても社会活動や人づきあいが苦手で家にこもりきりだった。
そんなもんだから、時々行っていた障害者共同作業所もじきに辞めてしまい、人生に悲観するような節があった。
そのヒロシくんはなぜだか私のことを気に入ったらしく、しょっちゅう遊びにきてはフォークソングや古い映画の話なんかをした。
彼は躁鬱《そううつ》気質で、相手をする私を時おり閉口させることもあったけど、一つ素晴らしい特技を持っていた。
それは絵がとても上手く、プロレベルとまではいかないまでも、高校の美術部員ていどの油彩画をいっぱい描いて、両親が営むペンションの壁という壁に額装して飾っていた。
それで、一度だけ小さなギャラリーで個展をやり、「たった1枚だけど売れたよ」と、嬉しそうに報告してくれたことがあった。
ある時、私は新しいDVDデッキを買い、古いVHSビデオをDVD-Rにダビングした。
それで、いらなくなった小椋圭や拓郎、こうせつ、さだまさし、アリス、海援隊、サイモンとガーファンクルなどのビデオを、大きな段ボール箱で山ほど彼にあげた。
彼はものすごく喜んだんだけど、二日くらいして不意に訪ねてきて、「急にビデオデッキの調子が悪くなっちゃったんで、ザンマさんところで観せてくれないか」と言った。
私は、何時間も、へたをすれば何十時間も彼に付き合うことになりかねないと思い、「今ちょっと忙しいからまた今度……」と言い、にべもなく彼を追い返した。本当は大した用事もなかったのにだ……。
それ以来、彼はパタリと遊びに来なくなり、たまに道で会っても軽く挨拶するだけになってしまったが、それを内心に少しホットしている私がいた。
それから、いつしか道ですれちがうこともなくなってしまい何年か経った或る日、「ヒロシくんは死んだらしいよ」という噂を風に聞いた。
その理由は誰も知らず、かといって彼の親に聞くわけにもいかず、私は密かに胸を痛めた。
いつだったか彼が言っていた……
「僕はこうして、仕事もしないで一生親の世話になるしかないと考えると辛い。それに、父さんも母さんもいつまでも元気でないのも分かっている。そうしたら、いつか妹が僕の世話をしてくれるんだろうけど……。」
「子供は親を選んで生まれてくる。親がヒロシくんを選んで自分の子にしたのも偶然じゃない。
もっと言えば、君の両親は君の面倒をみるためにこの世に生まれてきてくれたんだよ。
だから、大威張りでいる必要はないけど、そんなにくよくよしなくたっていいんだ。
常に、そして一生、親御さんや妹さんに感謝をしながら生きていくってことを忘れなければそれでいい。
君は、絵を描いたり音楽を聴いて楽しむためだけに生きていいよって許された、貴重な人間なんだから。」
と、したり顔で言ったきり、彼を見捨てた私自身の冷淡と傲慢を今さらながら恥じる。
あの時、彼はただ私と一緒にフォークソングのビデオを観たかっただけなのだろうに。
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