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田舎のモーツァルト

2019年10月20日(日)01:04
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ここ近年の異常気象はまさしく〝異常〟である。
地球温暖化は無論のこと、それ以外にも何か得体の知れない問題を地球は抱えているのではないだろうか。
30年に1度といわれるほどの台風が2年つづけて各地を襲い、甚大な被害をもたらしている。
幸いにして私の暮らす安曇野は無事であったものの、我が信州・長野県も人ごとではないようだ……。

不意に電話が鳴った。旧い顧客である永谷さんからだ。
永谷さんが本拠とする住まいは栃木であるが、あちこちに別荘を持っておられ、そのあちこちにウチのログハウスやガーデンハウスを建ててくださっている常得意である。

彼は、日本には何人もいないとされる〝チター〟という楽器の奏者である。チターとは、映画「第三の男(1949 英)」で世に少し知られるようになったものの、決してメジャーなものではない。けれど、ギターにも似て琴にも近く、しかし全く違うと言っていい独特な音色は懐かしくも不思議な心地よさを胸に与える。

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「東京から穂高と白馬のコンサートに来る予定のハーピスト3人が、高速道路の封鎖(台風19号)で厄介なことになってしまったんですよ……」と、永谷さんが困り声で言った。
ハープという楽器は想像のとおり大きく重たい。それで、プロのハーピストたちが地方巡業に出る際はレンタル楽器を利用するのが常であるらしく、そのレンタル業とコンサートプロデュースを生業としているのが永谷さんなのだ。

「結局は車での移動を諦め、明晩の新幹線で長野駅に来ることになったんですが、私の車は3台のハープでいっぱいで、彼女たち演奏者を乗せることが出来ないんですよ……」と、いうわけで、会場にも近く暇そうな私のことを思い出し〝白羽の矢〟を向けてくださったというわけだ。

かくして、3日間の俄か運転手という任務を仰せつかる身となった次第であるが、日頃の恩義もさることながら、永谷さんからの頼みは決まって豪勢な晩酌会と高級ホテルがセットになるので、私としてもそう満更ではないミッションである。


「いいものがいっぱい残っていそうなお名前ねぇ……」と、初対面で私の名前を褒めたのはリーダーの斎藤寛子さんだ。彼女は8年にわたりアメリカの楽団で活動をし、時には楽器を満載した大型トレーラーを自ら運転して大陸を横断していたという逞しい人である。

そして、中学のころから仲良しだった安井弘子さんと入之内由紀さんが加わり、日本ハーピスト協会の肝いりで2001年に結成されたのが〝カフェ・ドゥ・ラ・ハープ〟という彼女たちのチームである。

ハープといえばクラシックが定番と思いきや、さにあらず、ポップスからジャズ、ロック、はては和楽や歌謡曲とバラエティーにとんでおり、時に上品なハープを打楽器に変えてしまうという斬新さが面白い。

さて、翌10月18日、コンサート本番。
穂高東中学校の講堂で「田舎のモーツアルト音楽祭」なる伝統行事が催された。

昭和38年、詩人・尾崎喜八(1892~1974)が同校を訪れた際、子供達の演奏と歌声に感銘を受け「田舎のモーツアルト」という詩を詠んだ。

それを記念した碑の建立を機に毎年恒例となり、今年で21回を数えるというけれど、正直いって、穂高に住んで18年になる私は全く知らなかった。

さらに、その晩は白馬の「椵木ホテル」でナイトショー、翌日はまた穂高へ戻り、私もよく世話になっている「安曇野コンサートホール」でまた演奏……と、せわしい移動とはなったが、車の運転の他は搬入搬出の手伝いもそこそこに、もっぱら彼女たちの演奏に酔いしれた。

おまけに、各会場のたびごと、時々永谷さんが登場し、古い手回しオルガンで彼女たちのハープとセッションしたり、ヨーデルの喉を披露してくださったりと、実に楽しい3日間を過ごさせていただいた。

久しぶりに素敵な音と快い時を堪能させてもらい、芸術感性の充電をした想いである。




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