今日、二人の方と素晴らしい出逢いの縁を得た……。
いま挑戦しているプロジェクトのことで、あるご婦人からお電話をいただいた……。その方は「母ちゃんって、いいよねー」と、しみじみ言った。
母親を亡くし30年以上になるけれど、今だに母の匂いを思い出すんだ、と。
畑仕事を終えた帰り道、母のモンペから陽だまりと土の匂いが混じったようなものが匂い立っていた。
それが今でも忘れられない……。
もう一人の奇縁、或る老人が言った……。
「〝死〟は最後ではなく、それは〝無〟になることではない。大切な人とは必ずまたどこかで再会するし、途上の計画はきっと達成されるでしょう……」
その方は神経内科をご専門とする医師であり、かつては大学の医学部で教鞭をとっておられた教育者でもある。
世界中の全ての医者は、生きるための医療と学問をする。しかし、その人は「死ぬための学問」が大事だと説く。それにより、生きる充実感が違ってくるのだと。
特にドイツでは、小学校の時から「死への準備教育」というものを施すらしく、〝死〟について学ぶことにより〝生きる〟ことの尊さを識り、〝命〟の大切さが分かるのだそうである。
「亡くなられたあなたのお母さまの命も次の命に引き継がれ、おそらく、前生で近しい関係にあったあなたの所に現れるかもしれませんよ。例えば、あなたの子供になって……」と、その人は真顔で言った。
「つまり〝輪廻転生《りんねてんしょう》〟のことですか……」と、尋ねると、輪廻転生は既に科学的に証明されつつあるのだと言う。
昔、私が高校生の時、「カルマの法則」(五島勉 著、生命の生まれ変わりや阿頼耶識《あらやしき》などについて書かれたもの)という本が仲間うちで流行った。「ノストラダムスの大予言」の著者でもあるその作家は、後に〝人心を惑わすオカルト〟だとペテン師のごとく揶揄されたが、そのようなものが、今では(特に欧米において)医者や識者の間で否定しえない事実と言われるようになっているとは、驚くよりない。
実は、そのことを或る友人に話したところ、「自分の次男がそうだよ」と、彼が口にした……。
その子が三歳の時、初めて行った旅行先で、「僕、昔ここ来たことあるよ。この先に貸し自転車屋があって、もっと行くと池があるんだ……」「僕が初めてもらった給料は2万5千円で……」などと突然しゃべりだしたのだそうだ。
それで、調べてみると何一つ間違っておらず、以後、そうした不思議な事は三年ほど続いた後にパタリと止んだ……と、いうことである。
論説の真偽を確かめる術《すべ》は無論にして私の手にはない。けれど、人は皆の記憶から消えて忘れられた時、二度目の死を迎える……と、言われるように、いつまでも、いつでも、母のことを思い出し、覚えていてあげたいと思う。
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