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四つめの窓<1>

2018年9月1日(土)13:31
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2018/09/01


人の仕事には四つの窓がある……と、ずいぶん昔にしたり顔の先輩に教わった事がある。
一つには、緊急かつ重要なもの。
二つには、重要ではないが緊急なもの。
という順で誰もが仕事をするわけだが、それじゃ次にどの仕事にかかろうかと考えた時、普通ならば緊急ではないが重要な仕事、つまり、気にかけながらも先延ばしにしていた事を、満を持してやり始めるはずだ。
ところが人間というやつは、そう理屈どおりにいかない。
大概の凡人は、緊急でも重要でもない、どうでもいい事に熱中してしまう。
だから駄目なのである。

と、言われた私はその典型であり、半年前、私は向上心を捨て偶然の間暇(かんか)を満喫していた……。
人には柄というやつがあって然りなので、私は私でこれで仕方ない。良いとは思わないが、仕方がないのだから仕方ないのである。
つまりは「時機」ということ、何事もその気分にならなければ始められない、始めてはいけないということ。やらなきゃならない、なまけちゃいけない……と、真っ当な観念にかられて、つまらない事をしてはつまらない。
だから、何もせず此の穴蔵に居ることに不満を持たない。
ただ、「三年寝太郎」の例えの如く、さぁそろろ暇をするのにも飽きてきたところなので、アクビを一つして起き上がってみるとするか……。

そんな折、ふいに五日間も入院することになった。
原因は実に間ぬけな様で……、夜中に寝ぼけてベットから落ち、首をグキリとやってしまったというわけで、かくして、爺さんばかりの雑居部屋の俄か住人となった次第であった。
退屈しのぎにノートパソコンを開き、何とはなしに書きかけの散文を読み返す……。
一昨年十月、脳腫瘍で他界した母を看取るまでの一年間を綴った、母と私の心象記録ノートである。
今いるのが病院のベットともなれば、この手記に取り掛からざるをえぬと思い、先ずは漠然と考えていたタイトル案を全て却下し、思ってもいなかった至極シンプルな題名をドンと一行目に書いた。
タイトルが決まればこっちのもの……、という気になってくるのが可笑しく、そのままの勢いで序章が犬のお産の如く済み、さらに気がつけば、ほぼ不眠に近い三日目をむかえ、いつの間にか夜中になっていた……。

ボーッとした頭を冷やすべく、顔を洗いに薄暗い洗面所に来た。
ブッルっとやり、ボササボサの髪をかきあげ、鏡の中を藪にらみに覗きこんだ時、その作務衣をはおった無精髭の男が、そこそこの文豪のように思えた。
そんな思い上がった気分は数年に一度やってくる。
どうせ後で読み返せば、瑣末(さまつ)な駄文であるに決まっているのに、その瞬間は良いフレーズを閃いた流行作家のように高揚しているのだ。

我々は人間なのに仙人を目指してはいないだろうか
人間は人間らしく生きよう
ダメな所があっても そこがまた魅力と言われるような
素敵な人間を目指そう

〈島至「窓ガラスが鏡に変わる時」より〉




「四つめの窓<1>」へのコメント2件

  1. 山田たかお より:

    4つの窓の話しも勉強になりましたが、ボクはやっぱり3年ね太郎のタイプです。
    仕方がないのだから仕方ないのである・・・というくだりが気に入りました。
    時期ではなく時機という言葉をはじめて知りましたが、ボクもその時機がくるまで果報は寝て待て!で行こうかと思いました。
    鹿沼市、山田たかお

  2. 残間 昭彦 より:

    山田さん、コメントをくださりどうもありがとうございます。
    「果報は寝て待て」は、まったく同感です。
    しかし、いつだったか、「果報は練って待て」と、言った人がいました。
    充電期間中は、次のステップへの準備期間だという意味でしょうか。
    なかなか思うようには行きませんが……。

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