2014/4/4
元来、私は人に本を借りるのも貸すのも好きではない。
幼少から難読症だった私にとり、一冊の本を読破する事は大したエネルギーであり、それである故に、一度読んだ本は、財産として手元にずっと置いておきたいという衝動に固執するからである。
それだから、他人に本を貸すということは、金を貸すよりも躊躇(ちゅうちょ)する。
借りた本は慌てて読んで還さねばならぬため落ち着かないのに、人に貸した本が還ってくる事は稀だ。
金ならば、いくらか還ってくる可能性が少なくないが、読み古された本など、借りた方とて、律儀に還そうとは心掛けない場合が多く、貸金の催促と同じで……否、それ以上に、どうしてか、貸した方が卑屈に頼む羽目になる。
現に、貸したきり還ってこない本も過去に少なくはなく、上下巻の上だけを借りられ、それきり空いている1寸たらずのスペースを時折見るのはつらい。
いっそ、他の本を並べれば良いのだが、いつか還ってくるかも……と、思い、埋める事ができずにいる。
小心な私の哀しい性である。
ところで、長谷川さんから借りた本を読み始めた。笠木透氏の「わが大地のうた」だ。
氏が多感な学生時代の話は実に愉快で、冒頭の、「私に人生と言えるものがあるなら」の名曲誕生秘話には、大いに共鳴と感銘をきわめた。
私自身も、この歌を聴き、また口づさむ度、高校時代の淡い想いに胸をおさえるのが常であったからだ。
また、ある時のこと。特にどうという理由もなく、皆で川下りをする……というイベントをやった。
ただそれだけを目的にしていたはずが、結果、人間の非力と傲慢を思い知り、自然への畏敬の念を確認した……などというくだりも面白く、感嘆することしきりであった。
けれど、全編の中程すぎくらいまでをめくったところで本を閉じた。
やはり、これも私のライブラリー(財産)に加わるべきものと思いたち、夜中、PCを立ち上げ、Amazonのショップページを開いた。
そして、驚いた。
目あてとする本は、なんと、中古で1円と値がついている。
ありがたいが、やはり腑に落ちない。
たった1円で出すなら本棚に飾っておけ。そうでなければ、せめて知人に呉れてやるが良いのに。と、怒ってしまうのは私だけだろうか。
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