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木曽路にて-2

2009年8月13日(木)12:45
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木曽路にて-2(2009/08/10)

だいぶ遊んでしまった……。急ぐ理由もないとはいえ、もう黄昏れも近い。さぁ、妻籠へ行かなければ。
馬籠が馬の旅籠なら妻籠は妻の旅籠か……(?)。つまり、女の足ではあまりに辛い悪路なので、妻を置き去りにして男だけが旅を続けたのだろうか、などと安易に推測した。
ところが、妻籠とは妻の旗籠ではなく、妻を籠に乗せて峠を越えたからでもない。当時の統括藩であった遠山藩領地の一番端に位置する宿場であったことから、端の意、褄側(つまがわ)という言葉からおきたのだそうだ。これも言葉遊びの妙である。

それにしても、妻籠へ向かうのには少々骨が折れた。国道を行かず旧街道の峠を登ったものだから、徐々に細くなる道にクネクネと廻され、ついには道に迷い方向を失った。
人ひとり歩かぬ山道に商店などなく、仕方なく民家の戸をたたき遠慮がちに尋ねた。聞けば、そこは江戸期から住み継がれた集落の名残りで『大妻籠』と呼ばれるところであるらしく、たまに登山者が迷い込むことはあっても、旅行者の車が来ることなど滅多にありえない寒村だった。

そうしたわけで、妻籠宿にたどり着いた刻には陽はとうに傾いており、街は夕陽で真っ赤に染まっていた。雑踏の賑わいであった馬籠とは明らかに違う静かな界隈を茫然と眺めていると、私は、単に郷愁とも言いがたい不思議な感覚に陥っていた。
通りには青白い蛍光灯など一つもなく、薄暗い裸電灯が目に心地よい。閑散として落ち着くたたずまいでありながら、寂しい雰囲気でもない。ただ、他では感じ得ない安堵を与えてくれる。
さらに妙なのが、土曜の晩だというのにほとんど人が歩いていないのだ。通り端の旅館には、泊り客が酒やカラオケに浮かれて騒ぐ気配は全くなく、浴衣姿に下駄をカラカラ鳴らす音もない。
とっさに私は、ここに泊ってみたいと思った。いつもは車中泊を常としている私ではあるが、今日のみはここにワラジをぬぐべきと強く念望した。

宿を探しだしたものの、時間が時間である。どの宿屋も泊めてはもらえない。薄明かりの奥には確かに客もいるのだろうけれど、本当に満室なのかといぶかしむほど静かなのは、この土地柄のせいだろうか。
諦めかけ、5、6軒目かの宿の前に立ったその時、私の足ははたと止まった。一向に戸を開けられず動くことすら出来なくなってしまったのだ。
明りのもれる窓格子の向こうから「きぃそーの なぁー おんたぁけさぁーん……」と、何とも耳に心地よい木曽節の唄が聞こえていた。旅の衆か地元の年寄りたちか、10人ほどの車座になった宴が窓越しに見えた。こんなにも民謡の類をしみじみと聴いたのは初めてのことであり、私はしばらくの間立ちつくし唄に聴き入った。
まるで明治か大正の頃へでもタイムスリップしたかのような錯覚に陥り、我を忘れ今いる場所も解らなくなっていた。そして、いつしか涙を流す自分がいた。
この辺りの家はどれも築200年を超えると聞いていたけれど、まさしくこの空気感はその時のままだ。
呆然とした数分間の後、宿の女がガラリと木戸を開けた。
「お泊まりですか?」と聞かれ「はい!」と頷く私に、「今からでは食事が用意できませんが……」とすまなそうに言う。少し躊躇する私に「ちょっと待ってください」と言い残し奥へ引っ込んだ。どこかへ電話をしている。しばらくして戻ってきた女は、大妻籠の民宿で良ければ食事付きで紹介が叶う旨を告げた。
大妻籠か……さっき迷い込んだところだ。むしろ絶好ではないか。

紹介された「亀山」という民宿は老夫婦二人で細々と営む小さな宿で、夜分、本当にここへ泊っても良いのだろうかと心配になるくらいに普通の民家であった。
それでも居間には囲炉裏があり、急な来客であったにもかかわらず期待を超えるご馳走でもてなしてくれ、しばし遅くまで私の話に付き合ってもくれた。
宿の老夫婦の本音はいささか迷惑であったのや否かはしらぬが、ともあれ、偶然という縁に導かれた、余情を心に残す旅を得た喜びに満足しつつ床につくことができた。

つづく
To be continued .




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