弱く優しき者
「優勝劣敗」という言葉をかたくなに信仰してやまない人がある。優れるが勝者となり劣れる者は敗北するを自明の道理と信じて疑わない輩のことだ。しかし、はたしてそれで良いのだろうか。
老人や病人へは手を差し伸べる優しさを持ち得るのに、弱き者、優れていない者には非情に鞭打つという矛盾は何なのか。おそらく、老いや病いは本人に責任ないが、軟弱や劣等は自らの努力不足という怠慢が起因していると勘違いしているのではないだろうか。人の背丈に高低があるように、強いも弱いも優劣も単に個性であり、嫌悪するべき欠点ではない……。
(中略)
例えば、世界一小さいキツネの種(鼻先から尻尾までわずか四十センチほど)〝フェネック〟という実に可愛らしい動物がいる。ご存じの方もあるとおり、これはフランスの童話「星の王子さま(サン・テグジュペリ著)」の中に登場する、耳の長いキツネのモデルとなったヤツだ。このキツネはサハラ砂漠の極ごくかぎられた地域にしか生息していず、ともすれば絶滅危惧種にも認定されよういうところをようよう免れているものだ。何故そうも住処を追われ、生息の危機にまで見舞われているのか。単純に言って弱い動物だからである。
フェネックは、サハラの強い風が作る〝ワディ〟と呼ばれる小さな砂の山に穴を掘って巣をこしらえる。想像に叶う通り、粗末な巣に住む小さく弱いフェネックになど、天敵こそ山ほどあれ、餌になってくれるような間ぬけな小動物は少ない。自らはほとんど狩りに出掛けることのないフェネックの巣の入口近くに、稀にネズミや虫の類いが訪れても、気が弱いためか、少し反撃されただけですぐに逃がしてしまったりするのだ。そんな事で、雄は子を産むべき雌をかばい優先的に餌を与え、大抵は先に死んでしまうことが多い。
そんなフェネックでも、サハラ砂漠の自然界にとり決して無用などではない。
実は、その事は比較的最近の研究で知られるようになったのだけれど、どうも地球の砂漠化に何とか歯止めをかけている存在こそが、このフェネックだそうなのだ。これはどういうことかと言うと、砂の穴に作った巣などひと度大風が吹けば直ぐに壊れてなくなってしまう。だから、フェネックはしょっちゅ巣を作り直すための場所を探して引越しをしている。いい場所を見つけて穴を掘っている途中で、また嵐に壊され別の場所に移る。そうして、砂漠のそこいらじゅうがフェネックの掘った穴と足跡でいっぱいになる。それが良いのだ。乾燥しきった砂の表面を掘り返して潤いを活性させることにより、そこに草が生える。それで、どうにか砂漠がこれ以上広がるのを食い止めているというわけだ。
その通り、どんなにちっぽけに見える命でも、自然界にとり、この地球にとって何の役にも立っていないなどという物はないという証しが、まさにこのフェネックの存在理由なのである。更に、これにより優勝劣敗といういまわしき言葉が否定される。
人間も自然界の一員として、もっと謙虚に生命というものを受け止め、いずれ、強い者も弱い者も、能力に長けた者もそうでない者も、互いに助け補いあって生きていけるような世の中になれば良いと願う。
目次Contents
プロローグPrologue
第一章「戦争を見つめる」
- 原爆の爪痕 長崎原爆資料館にて
- 広島の黒い空
- 赤と黒だけの世界
- 悲惨な戦争
- 扉は必ず開かれる
- ケネディの遺言
- 共感共苦
- ソクラテスの憂鬱
- 一番になりたい症候群
- 天下の御意見番
- 大地の子
- 何ゆえの犠牲
- 鍬と胸飾と笛
第二章「平和を考える」
第三章「未来(あす)を望む」
- 平和への入口
- 音楽が伝えるもの
- 心のとまりぎ 安曇野平和芸術館の構想
- 泣けることの幸せ
- 無量の感謝
- 心の蘇生
- フラワーチルドレン
- あなたへ花を捧げたい
- 命こそ宝(ヌチドゥタカラ)
- 打ちそこねた終止符
- 炭坑のカナリア
- すれちがう言葉
- 確かな言葉
- 歓喜(よろこび)の歌
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