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売らない作家

(前半省略)

 福岡市西区に「福岡歴史の町」というちょっと面白い場所があるのだが、そこで私はとてもユニークな人物に出会った。国田民樹(くにたたみき)というその人は、その構内に自分の窯を持つ陶工(陶芸作家)である。そこで気ままに好きな物を焼き、時折お客の相手をしたり陶芸教室などをしながら暮らしている。

(中略)

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 その窯は、よく聞く「登り釜 」と呼ばれるものの更に原始的なスタイルとされる「穴窯」というものであり、焼き物のジャンルはというと、「ここは備前(岡山県)ではないけれど、備前の土を使いその手法で焼いているので、備前焼と言って良いだろうと思いますよ」とのことであり、「鉄分が多くキメ細かで粘度の強い備前の土を使うことにこだわりを持っているんです……」ということであった。
 レンガ積みから全て自分で造ったというお手製の窯の複雑な説明から始まり、備前焼きの特徴と歴史、果ては〈FeO3〉とか色々の化学元素記号を口にしながら、「土に含む鉄分と有機酸素の配分、そして火と灰の融和によって、焼き物の色艶だけでなく、落としても割れないような茶碗を造る堅さを見極めるんですよ……」などと、興味深いが非常に難しい話まで、そして遂には、ご自身が若い頃の放ろう遍歴までをも話して下さった。
 暖かい陽をあびながらの話にはまったく退屈しないのだけれど、長時間の立ち話にホトホト疲れてきた私は「構わなければ、何か作品を拝見させて頂けませんか?」と切り出した。

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 本人が言うところの展示場と呼ぶには少々不釣り合いな感のする、要するに仕事小屋だ。そこに入ると、何とも雑然たる状態で沢山の焼き物が所せましと積まれていた。土間にはダルマストーブが一つあり、少し離れたところに轆轤(ろくろ)とそれを扱うための椅子が置いてある。
決して広くはないけれど、何となく居心地の良さそうな工房兼展示場だ。
 私はこれまで焼き物などに興味を持ったことは一度もなく、したがい、目利きの知識も全く持ち合わせていない。だから私は、どれが良いだの素敵だのといった社交辞令的賞賛の言葉さえ口に出せず、ただ、入った時からずっと気になっていた物を何となく見つめていた。
 その物は、囲炉裏の縁のところに無作為に置かれており、決して存在感を誇示しているものではなかった。なのに、それは何とも佇ずまいが良いとしか言いようのない何かを感じさせていた。そして私は尋ねた。「これは壊れているのではないのですか?」。実は、どう見ても壊れた花瓶(花生け)であることはすぐに分かるのだが、もしかしたら、そういう形にわざと創作したオブジェか何かであるやも知れないと少しだけ思ったのだ。
 「えぇ、世間では一般的にそう言いますね」と国田さんは言った。
 「でも、この部屋にある全てのものは、僕のこの指の間から産まれてきた大切な作品であり、可愛い子供なんです」と言って、手の指をしぼめて轆轤を回す仕種しぐさをして見せた。
 「子供であるならば、いろんな形をしていて当たり前でしょ。例えば、産まれてきた子の手や足が片方ないからといって、あるいは目が見えないからといって、親はその子を捨てますか。私には出来ません。
 世間では失敗作だと言われるこの子も、あなたが見て『これは何ですか』と尋ねた。見る人に疑問という問い掛けをさせたという、それだけでこの子の存在理由があるんです。また、もしあなたが何も尋ねなければ僕も何も言いません。でも、あなたが家に帰ったあと、何か心にかかり、ふと『どうして壊れた花生けなんかが、あそこにあたのだろうか』と一瞬考えたとしましょう。それで、やっぱりこの子の存在理由が成立するんですよ。それが、花生けになろうとしてなれなかった、この子の役目なんです。
 ほら、この大きな破片(下部)と小さな破片(上部)をこんな風に隣どおしに置けば、これは夫婦めおとのような意味を持って見える。なにも夫婦に例える必要はないのだけれど、これが主と従だとすれば、これはこう向いているのが美しい。でも、時々はこんな風もいい。あるいはこうでもいい……」などと言いながら、壊れた花生けを実に愛おしそうに触っている。

  圧倒する、という話し方ではまったくないのだけれど、ぐぃと引き寄せられるものを感じていた。
 「子供の身体が五体満足であるかどうか、カタワかどうかなんて親には関係ないんです。同じように焼き物だって、不出来・不具合だからと言って『気に入らない!』と捨ててしまっていては切りがない。
 まして、私はテカテカと釉薬(ゆうやく=上薬)を塗って奇麗な絵を描いて仕上げるような伊万里焼などではなく、茶色くてザラザラした決して美しくはない備前焼をわざと選んで取り組んでいるわけですし、第一この穴窯という工法事体が焼き加減にムラをつくりやすく、失敗作を出しやすいものなんです。だから、不揃いこそ個性であり、壊れて用を為さなくったって、備前は備前としての味わいを備えていると思っています」。
 すごい人に会ったな……と、その時私は思っていた。彼は静かな口調で、なおも淡々と語り続けた。
 「美しくないもの、優れていないもの、足りないもの、そうした総てのものを捨ててしまう、あるいは隠してしまうという文化が、いつのまにかこの日本の慣習として根付いてしまったようです。だから、昔の人には見えたはずの物が今の私たちには見えなくなり、昔の人には聞こえていた事が今の私たちには聞こえなくなってしまったんだと思うんですよ。『それではいけない』と断言するべきものではないかも知れないけれど、やっぱり、美しくなくたって優れていなくたって、隠してしまってはいけないと思います。何にでも表裏があってこそ一体なんですから」。
 彼の考えや言葉を〝思想〟などと呼んでいいものかどうかは分からないけれど、世界中にこういう人が増えていけば、たぶん戦争は本当に無くなるのではないだろうかと思った。
 逆に、納得が行かない!と怒って失敗作品を壊して捨ててしまうというのは、姿や価値観、思想や宗教の違う他民族を、自分勝手な基準で攻撃して排除しようとする考え方に必ずつながってしまうだろうから……。

  彼の話しを聞きながら、私はまた老子の言葉を思い出していた。
 「あなたは貧しく愚かなままでいい。あなたは醜くいままが美しい。美とは醜に対立するものではなく、醜をも含むのが本当の美であるからだ。美しい花に鋭い刺があり、実を成す大樹の元に堅い根があるように、総てのものには存在する意味と理由がある……」。
 国田さんの人物像がこの言葉にピタリと重なるように思え、彼にその言葉を話し、彼は、「私が常々考えていたことへの裏付けのような言葉ですね」と言い喜んだ。

 不意に私は、その壊れた花生けが欲しいと思った。どうしても欲しいと、何故だか強烈にそう思った。そして、私は少し恐縮しながら、もしこれを譲って頂きたいと頼んだら、いったい、どのくらいの値を付けるのかと尋ねてみた。すると彼は「これは確かに私の作品ではあるけれど、たまたまこんな形をしてしまっているので商品にはなり得ないんです。だから売れません。また、もしもこれがちゃんとした形をした商品であったとしても、私はお金で売買するようなことをあまり好まないんです。もちろん、今の日本の経済形態がこうなのだから、仕方なくお金を頂くことはあるけれど、できることなら物々交換で自分の生活や生業(なりわい)が成り立てば一番いいと思っているんです。だから私は『売らない作家』とも言われています(※売れない作家ではない)……ハッハッハッ。あなたの質問への答えにはなっていませんが、すみません……」と言って、ペコリと首をたれた。
  そして、そのすぐあとに「でも、もしもあなたがこれをくれ!と言ったとしたら、もしかすると只で差し上げるかも知れませんよ」と言って、ちょっとニヤリとした。
 まさか「それじゃー只で下さい」ともさすがに言えず、私はちょっと考えてから「車に戻れば信州の蕎麦を持っているんですが、それならば、それと交換して頂けないでしょうか?」と聞いてみた。もちろん、当人はあぁ言っているものの、それに見合うような値うちの代物ではないという失礼は充分に承知の上である。
 しかし彼はニッコリと笑い「いいですよー」と実に優し気な笑顔で応えててくれた。私はとても嬉しくなり、さっそく走って車へ行き、蕎麦の袋を持ってすぐに戻ってきた。
 私の主感だけなのかどうかは分からないけれど、それが無くなってしまった囲炉裏の縁は、何だか少し違和感があるようであり、空間が急に寂しくなってしまったように見えた。
 それで、もらうだけでは悪いと思ったということもあり、もう一つ気になっていた、傍らにあった小鉢皿を代金を払って譲ってもらうことにした。
 「全部同じですよ」と言いながらテーブルに並べられた十枚ほどの中で、私が欲しい一枚はすぐに決まった。ど素人の私にさえ容易に分かるほど、それはとても魅力的な鈍い輝きと微妙な艶を持っていた。聞けば、同じ土を同じように煉っても、窯のどこあたりに置くかで随分と焼け具合に違いが出るのだそうだ。
 「ついでに、これも」と、やはり色艶の気に入った小さな馬上盃(ぐい呑み)を一つ手に取った。すると国田さんは「そんな傷物でいいんですか?」と尋ね、私は「これがいいんです!」と応えた。国田さんは「それじゃ、今日の記念に差し上げましょう」と軽く言い、さっさと包んでくれた。

(後半省略)

写真-kunita/bizen

目次Contents

プロローグPrologue

第一章「戦争を見つめる」

  1. 原爆の爪痕 長崎原爆資料館にて
  2. 広島の黒い空
  3. 赤と黒だけの世界
  4. 悲惨な戦争
  5. 扉は必ず開かれる
  6. ケネディの遺言
  7. 共感共苦
  8. ソクラテスの憂鬱
  9. 一番になりたい症候群
  10. 天下の御意見番
  11. 大地の子
  12. 何ゆえの犠牲
  13. 鍬と胸飾と笛

第二章「平和を考える」

  1. 旅の途上
  2. 長崎の空に想う
  3. 売らない作家
  4. 備前の土と一期一会
  5. 広島の青い空
  6. 1900通の未練
  7. 非競争の論理
  8. 仰ぎ見る空
  9. 弱く優しき者
  10. 大和魂
  11. 優しさの代償
  12. 聖戦の果て
  13. 恨み 戦後60年の日に想う
  14. 風月同天(ふうげつどうてん)
  15. 戦いのトラウマ

第三章「未来(あす)を望む」

  1. 平和への入口
  2. 音楽が伝えるもの
  3. 心のとまりぎ 安曇野平和芸術館の構想
  4. 泣けることの幸せ
  5. 無量の感謝
  6. 心の蘇生
  7. フラワーチルドレン
  8. あなたへ花を捧げたい
  9. 命こそ宝(ヌチドゥタカラ)
  10. 打ちそこねた終止符
  11. 炭坑のカナリア
  12. すれちがう言葉
  13. 確かな言葉
  14. 歓喜(よろこび)の歌

エピローグEpilogue

著者背景


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