長崎の空に想う
尊敬されるために多くの言葉や知識を覚え、羨望を受けるために奇麗な服を着て地位 や名誉で身を飾り、勝つために権力や経済力という武器を持つ。そんなふうに、みんなみんな誰かに打ち負かされる恐怖と脅迫観念でいっぱいになっている。
負けたくないという劣等意識や自我(エゴ)の塊が、力こそ正義であるという妄想を生み、あらゆる戦いに挑むことが向上心であり、勝ち続けることが正しい誉れであると信じる宗教を作り上げてしまう。そんな連中がみんな戦争を始めるんだ。どうだ、うんざりとしないかね。
いっそのこと、武器も鎧も脱ぎ捨てて、見栄も懐疑心も全部放棄してしまえばいい。歌を歌い、花を愛で、人や動物や地球の命を愛おしむ想い。軍事や政治力によらず抑止力によらない、その心こそを平和と呼びたい。
(前半省略)
ここ「旧城山国民学校」は、当時、長崎市内の全ての学校の中で最も多くの児童を犠牲にしたと言われるところであり、戦時中の防空壕跡や被爆した鉄筋三階建て校舎の一部が今も残されている希少な戦争遺産だ。平日ならば、その被爆校舎の中で遺品や写 真などの展示を観ることのできる「平和資料館」となっているのだが、あいにく私が行ったのは日曜の休館日で中に入ることはできなかった。
原爆投下時刻、瞬時のうちに見る影を失った人たちの数は教師や挺身隊員などを含み全部で105名。警戒警報がでていたために児童は一人も登校していなかったのだが、自宅やその付近で多くは爆死し、約1500人いたうち生き残った児童はわずかに50人ほどであった(要は、市外に出ていた人以外のほとんどは被爆死したということだ)。
そうした悲話を伝える多くのモニュメントと共に、〝被爆木〟と呼ばれる椿や樫などの老木が点在して立っている。被爆した木と聞けば、火傷のケロイド痕のようにゴツゴツとした痛わしい木肌を想像していたのだけれど、その生き証人は、案外と戦争も原爆も何もなかったかのような顔で逞しくたたずんでいた。
ところが、こうした木を伐ると、幹の中からガラスや茶碗の破片が出てくることが時々あるのだと聞く。爆撃の瞬間、飛び散ったその破片が樹木に深く刺さり、そのまま樹齢を重ね哀しい記憶を隠すのだ。
(後半省略)
目次Contents
プロローグPrologue
第一章「戦争を見つめる」
- 原爆の爪痕 長崎原爆資料館にて
- 広島の黒い空
- 赤と黒だけの世界
- 悲惨な戦争
- 扉は必ず開かれる
- ケネディの遺言
- 共感共苦
- ソクラテスの憂鬱
- 一番になりたい症候群
- 天下の御意見番
- 大地の子
- 何ゆえの犠牲
- 鍬と胸飾と笛
第二章「平和を考える」
第三章「未来(あす)を望む」
- 平和への入口
- 音楽が伝えるもの
- 心のとまりぎ 安曇野平和芸術館の構想
- 泣けることの幸せ
- 無量の感謝
- 心の蘇生
- フラワーチルドレン
- あなたへ花を捧げたい
- 命こそ宝(ヌチドゥタカラ)
- 打ちそこねた終止符
- 炭坑のカナリア
- すれちがう言葉
- 確かな言葉
- 歓喜(よろこび)の歌
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