広島の黒い空
広島への原爆投下は、実に巧妙な計画犯罪であった。
広島市を含む近隣の岩国・下松・徳山の辺り一帯は、基地や軍需工場などの重要施設が多く建ち並ぶ軍都であった。それ故に、岩国・下松・徳山などの地域では B29による空襲がひんぱんに相継いでいた。にも関わらず、どういうわけだか広島地域のみは空襲を免れていた。米軍の偵察機が上空を通 過するたびに空襲警報は発令されるものの、まったく爆撃には至っていなかったのだ。
そのため「広島は、米軍が占領後に利用するため必要と目されているので攻撃を受けないのだ……」などという真しやかな噂さえ流れ、広島市民の油断を誘発していた。
ところが、その実は原爆の破壊力効果を測るために、無傷で残そうとされていたことを誰も知る由はなく、ついに原爆投下の当日をむかえた。
午前7時9分、広島市上空を天候調査のための米軍偵察機が飛来し、空襲警報により市民たちは防空壕へ避難した。しかし、わずか22分後に警戒警報は解除となり、みな安堵し、普段どおりの生活を始めた。その時、空は抜けるように青く、雲一つない快晴であった……。
警報が解除され安心しきっている時が一番無防備になる瞬間だ。その矢先の8時15分、最も被害が甚大になる時間帯を狙い原爆は投下され、一瞬の閃光と共に街は消え地獄と化した。そして、空は青から鈍(にび)色の黒へと一変したのだ。
辺りは夜かと見紛うほどに真っ暗となり、原爆の熱線で炎上した火災の炎だけが視界の頼りとなっていた。地上には大きな火柱(火災旋風)が立ち、川面には竜巻きの水柱が起こっている。そんな中を男とも女とも見分けのつかぬ姿態となった人たちが、皮膚を引きずりながら歩いている。皮膚を引きずるという表現がどういうことか、要するに、数千度という強烈な熱線で一瞬にして全身に大火傷を負い、それが大きな水膨れとなり、次ぎの瞬間におとずれた猛烈な爆風によって皮が吹き飛びベロリと剥がれ落ちるのだ。その剥がれた皮が指爪の上のところで止まり両手の指先からダラリと垂れ下がる……、そういう状態だ。そしてさらには、赤黒く焼けただれた肉はドロドロと溶けてグチャグチャになっている。そんなものだから、歩くといっても普通に手を下ろして腕をふっては歩けない。ふる腕が胴体にあたり、また、引きずる皮のわずかな振動が一層に痛みを伝えるからだ。それで皆、腕を前に突き出し、まるでキョンシー映画の幽霊のような格好でのろのろと歩く。それは、まさに化け物の行進だ。
その行進が行き着くところは川の畔。とにかく水が欲しいのだ。やっとの思いで川に辿り着いても川の中は既に人でいっぱいになっており、皆、川岸に這いつくばって水を飲もうとしている。その背中に次の別 な人が覆い重なる。そして、そのまま死んでいくのだ。
町中では小さな防火用水呂に全身火傷をおった人々が飛び込み、空(くう)をつかみ天に助けを求めるような格好で身悶えている。
(中略)
想像してみてほしい、そんな状態に自分がなった時のことを。それこそ、1秒でも早く絶命してしまった方がどれほど楽だと思うであろうか。まさに阿鼻叫喚(あびきょうかん)とはこの事だ。
いずれにしても、その人たちの多くは遅かれ早かれ死んでゆくのだが、およそ15万人とも20万人とも言われたほど、あまりに多い数の死体の処理に困った軍隊は、遂にはその死体をブルドーザーでかき集め、積み上げまとめて燃やした。さらに、焼かれた骨が無数の山を列ね、今度は、それを目障りとした米軍がローラー車で白骨を押しつぶし土中へ深く埋めた。これを地獄の様と言わずして何と表すればよいのか。
ほどなく、広島市内に雨が降った。熱線と大火災により暖まって水蒸気となった空気と共に、放射能を帯びたチリやススなどが上空に舞い上がり、それが大粒の真っ黒な雨となって地上に落ちた。井伏鱒二氏の小説にも描かれた「黒い雨」と呼ばれるのがこれだ。
熱線の火傷に身を焼いた人々は天を仰あおぎそれを飲み、子供たちははしゃぎ躰をうたせた。放射能汚染で我が身が朽ちるのも知らずに……。
目次Contents
プロローグPrologue
第一章「戦争を見つめる」
- 原爆の爪痕 長崎原爆資料館にて
- 広島の黒い空
- 赤と黒だけの世界
- 悲惨な戦争
- 扉は必ず開かれる
- ケネディの遺言
- 共感共苦
- ソクラテスの憂鬱
- 一番になりたい症候群
- 天下の御意見番
- 大地の子
- 何ゆえの犠牲
- 鍬と胸飾と笛
第二章「平和を考える」
第三章「未来(あす)を望む」
- 平和への入口
- 音楽が伝えるもの
- 心のとまりぎ 安曇野平和芸術館の構想
- 泣けることの幸せ
- 無量の感謝
- 心の蘇生
- フラワーチルドレン
- あなたへ花を捧げたい
- 命こそ宝(ヌチドゥタカラ)
- 打ちそこねた終止符
- 炭坑のカナリア
- すれちがう言葉
- 確かな言葉
- 歓喜(よろこび)の歌
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