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原爆の爪痕 長崎原爆資料館にて

 美しい音楽や絵画を楽しむ心、綺麗な花や空を慈しむ想い、そして、自然や動物たちの命を愛おしむ優しさこそが平和につながるのだなと、そんなことをつくづく感じている今日この頃。
 しかし、過去と今の過ちや憂いに胸を傷めないわけにもいかない…。〝満州事変〟しかり、「日中戦争」しかり、更には、同胞をも残虐に殺戮した「久米島事件」(沖縄)。皇国主義という邪教に洗脳された日本軍は、あの時、確かに鬼と化していた。その非道なる日本軍を、いや日本人そのものを心底憎んでいた米大統領トルーマンは、遂に広島・長崎へと原爆を見舞った。
  けれど、狂気した軍人が犯した罪の償いを、なぜ民間人に負わせなければいけなかったのか。考えるも詮無き事ではあるけれど、ただ一つ言えるのは、戦争というものに勝者も敗者もなく、平和の実現に力や正義は不要だということ。
 私たちは、今すぐに真実(ほんとう)の平和が見たい。

 「戦争は文化の母なり」、時の軍部はこう喧伝したという。何が母であるものか、このように理不尽に恐ろしい母などあるはずはない。
長崎原爆資料館のあのフィルム映像を観ながら、私はふとこんな言葉を思い出し涙で視界を曇らせた。
2002年師走月はじめ、さすがの九州も肌寒さを増してきたある日、私がこのレポートを書こうと思い至る切っ掛けを得たのは、その時である。

 〝コチコチ〟という時計の音だけが静かに聞こえていた。壁の展示を見ると、そこには壊れた柱時計が掛けてあり原爆投下時刻の11時2分で止まったままになっている。爆心地近くの民家でみつけられたものであるらしい。その壊れた時計が今もなお見えない時を刻んでいる、といったメッセージ音なのだろうか。辺りは薄暗く、原爆跡地から掘り出されここに運ばれた瓦礫がれきたちの悲惨さを一層強烈に物語ろうとしている。
 とたんに私の目を釘付けにさせたものは、たった20インチほどの小さなモニターだった。その画面 には、すっかり炭化しきり、まるで壊れたブロンズ像のようになって転がっているいくつもの死体が映っていた。もっとひどい例えをすれば、ミイラをさらに火葬にさせたごとき姿だ。それでも確かに人間なのだ。しかし、そんな黒い 塊りですらまだましだと言える。肉を焼き尽くし、肋 の間に焦げた内臓をへばり付かせた、わずかな骨と化している者すら数知れない。さらには、人間が一瞬にして溶けて蒸発してしまった光景を目まの当たりにしたという証言すらある。
 本当だ、これはまったくの現実(ドキュメント)なのだ。尋常では直視できない目を覆いたくなるような惨状に私は涙をこらえられず、ついには人目もはばらず慟哭(どうこく)するほどにショックを受けてしまった。凍り付くというのはあぁしたものなのだろう。
 広島には、原爆投下直後を撮影した写真や映像はほとんど残されていない。駆けつけた唯一の報道カメラマン、松重美人(まつしげよしと)さんは、あまりの惨状にファインダーを覗く目を曇らせ、数枚のシャッターを切っただけで後は救護にまわるより術を持たなかったという。だから、その地獄のごとき悲惨な光景を絵に残して後世に伝えようという運動が以前から高まっていることを知っていた。しかし長崎では、こんな惨状を涙と嗚咽に耐えながら撮影した人たちがいたのだ。
 目をそらさず、この光景を我が目に焼き付けるべきだと思い、唇を強く噛んだ。この惨劇を眺めるという刹那な時と対峙するのに耐えることが、どこかへ踏み出す一歩となるような気がしていた。

(中略)

 しかし、ここで日本人としての自戒をこめて言わなければならないことがある。
 あれ(原爆)は、やはり罰だったのかもしれない……と。
 広島・長崎の原爆においては確かに日本人が被害者である。けれど、大東亜共栄圏獲得などという美名の陰で、かつての日本人がどれほどアジアの人々へ仇 (あだ)をなしてきたことか。だから、それら悪行への戒めを天は悪魔の手に委ねたのではないだろうか。
 強いられた罪つみの贖(あがな)いはあまりに過重な責めであり、こうした発言が不謹慎であることも自認のうちである。けれど、私があえてここまで言うべきと考えるのは、未だ日本人を許そうとはしない中国・韓国・北朝鮮の人たちに、「恨み辛みで憎しみあうところには決して平和も至福も訪れない」という現前たる事実を分かってほしいからである。

 今、真の平和を望むのなら、その恨み辛みを水に流さなければいけない……。〝罰〟と前述させた原爆を歴史の教示教訓として脳裏に残す一方、悲しみや恨みまでをも心に刻むのは愚である。互いに、忘れてはいけないことを忘れるより外に和解の道はないのだから……。
 どちらにも正義はある、あるいはどとらにも正義はないのかもしれない。いずれにしても確かに言える事は、正義や正論などというものは、平和の何ら役に立たなかったということ。正義という横暴が戦争を生み、二極の隔たりが人々を自我の殻に閉じ込め、憎悪ばかりをむき出しにさせる。正義(私はこれを〝エゴ〟と読む)などという欺瞞(ぎまん)の言葉さえなければ、逆の相手を否定し争う理由もなくなる。

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目次Contents

プロローグPrologue

第一章「戦争を見つめる」

  1. 原爆の爪痕 長崎原爆資料館にて
  2. 広島の黒い空
  3. 赤と黒だけの世界
  4. 悲惨な戦争
  5. 扉は必ず開かれる
  6. ケネディの遺言
  7. 共感共苦
  8. ソクラテスの憂鬱
  9. 一番になりたい症候群
  10. 天下の御意見番
  11. 大地の子
  12. 何ゆえの犠牲
  13. 鍬と胸飾と笛

第二章「平和を考える」

  1. 旅の途上
  2. 長崎の空に想う
  3. 売らない作家
  4. 備前の土と一期一会
  5. 広島の青い空
  6. 1900通の未練
  7. 非競争の論理
  8. 仰ぎ見る空
  9. 弱く優しき者
  10. 大和魂
  11. 優しさの代償
  12. 聖戦の果て
  13. 恨み 戦後60年の日に想う
  14. 風月同天(ふうげつどうてん)
  15. 戦いのトラウマ

第三章「未来(あす)を望む」

  1. 平和への入口
  2. 音楽が伝えるもの
  3. 心のとまりぎ 安曇野平和芸術館の構想
  4. 泣けることの幸せ
  5. 無量の感謝
  6. 心の蘇生
  7. フラワーチルドレン
  8. あなたへ花を捧げたい
  9. 命こそ宝(ヌチドゥタカラ)
  10. 打ちそこねた終止符
  11. 炭坑のカナリア
  12. すれちがう言葉
  13. 確かな言葉
  14. 歓喜(よろこび)の歌

エピローグEpilogue

著者背景


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