構想の要旨と施設プラン概要
安曇野から平和の灯火をあなたへ
学徒出陣で特攻に散った「上原良司」という青年をご存じでしょうか。
安曇野に生まれ育ち、軍国主義盛りし時に「自由主義」を語りはばからなかった郷土が誇りし英雄の人。
未来へ平和をたくし時代の犠牲となった上原氏は、軍隊時代の日記にこう綴っています。
「どこにいても音楽を愛する心は変わらない。音楽によってどのくらい慰められ、また勇気を与えられることか。(軍隊にあっても)レコードくらいは聴きたいものだ」。
「文化を尊ぶものは栄え、無視するものは滅ぶ」。
もし彼が今に生きていたならば、おそらくは「安曇野平和芸術館」の完成を最も望み喜んでくれる者の一人であるに違いありません。
安曇野平和芸術館の目的意義
あらゆる葛藤とストレスにさいなまれつつ、勝つこと、戦うこと、成功することへの盲信をやめようとしない現代人。とりわけ、そんな渦中に今を生きる都会人の心はすさんでいる。そして何より癒され願望がとても強く、そのくせ癒されベタであるという妙な常態を背負った彼らの“心の止り木”になれるような場所を安曇野につくりたい…。
そんな想いに呼応してくれた仲間と共に準備委員会を発足させてから しばらくの月日が経ち、少しずつではあるけれど理解と協力の輪が広がっていく喜びを感じている今日この頃。
そんなある日、東京から旧知の友らが私の暮らす安曇野へ遊びに来た。都会の埃を温泉で流した彼らは「ふぁ〜、生き返ったぁ〜」と伸びをしたかと思うと、くつろぐ間も惜しむように、一大目的であったらしい山菜獲り体験をするべく近くの林へ分け入った。そして「ぅわー“たらの芽”だ、“こごみ”だぁー」と図鑑で覚えた定番の山菜を篭に抱えてすぐに出てきて私に言った。「さぁ、どっか景色の良いところへ連れてって」。
あっちこっちと案内する途中に菜の花畑が広がっている。「ぅわぁー綺麗!」と皆が車窓から乗り出すものだから「降りてゆっくり眺めましょうか」と私が言うと、「いえ、時間がないから次に行きましょう…」と誰かが言う。
分きざみの忙せわしない観光で、本当に彼らは癒されたと思っているのだろうか…。
以前の私もそうだったように、都会から来る人たちは癒されることに慣れていない。だから本当の癒され方がよく分からないのだろう。
そういえば、しばらく前にとても感動的な音楽に出会った。それを東京に住む音楽好きの友人に聴かせたところ、2分ほどを過ぎたところで彼の左肩がピクリと跳ねた。“ビートたけし”のようなそれは、「俺はこんなスローで女々しい曲を聞いて癒されている場合じゃない。だってこんなに忙しいんだから…」という拒絶反応の現れであった。
「私がこれほど感動したのだから、彼もその半分くらいは心を動かすだろう…」と勝手に思い、感動の押し売りをしようとしていた自分を省みる反面 、心のゆとりを失いかけている彼への同情を禁じ得ぬ思いがした。
芸術を生業(なりわい)とする彼が 心を動かす感性に乏しいはずもなく。ただ、忙しい身体に心が絆されているだけなのだ。
だから、そうした「ビジネス戦争」や「自己闘争」に明け暮れする人たちに、「心が壊れてしまう前にここへおいで…」と言ってあげられる場所が「安曇野平和芸術館」でありたいと願う。
信州に住めることを憧れとしながらも、諸々の障害により叶えられないでいると嘆いていたある人が言った。「やっと私の居場所が見つかりました…。そこに居るだけで全てが許され解ってもらえるような気持ちになれる場所が欲しいと、ずっと願っていたんです…」と。
一度では何も気付けなくても、二度三度と訪れ、安曇野の山や高原を描いた絵を眺め、静かで平和的な音楽を深く腰掛けたソファーにもたれて聴く時、きっと真の癒しを知るに違いない。美しい絵や素敵な音楽は人の心を和ませ、頭の中から怒りや争いの感情を消し優しい気持ちにさせてくれるものだから。
そして、平和の尊さを知りそれに感謝をする時、私たちはきっと気付くはず…。今こうしている間にも、世界のどこかで誰かが戦争や飢餓の犠牲になっているという辛い現実に…。だから、自分だけの幸せと平和をいくら追求しても、世界中の誰もがそうでなければ決して本当の至福に至れない。
反戦平和を訴える声が世界中に波紋しつつある今、無意で悲惨な戦争を「いけない」と叫び、「平和のために戦争をするのだ…」と詭弁をふるい憚らない“正義”という名の報復連鎖に「No!」を言い続けることは絶対に必要であり急務である。
けれど本意ならず、若者たちは「難しい話は勘弁…」と耳をふさぎ 、老人は「思い出すのも切ない…」とかたくなに目を伏せる。 それならば発想の角度をちょっと変え、「平和って素晴らしいな、だからこの平和を失いたくないよね…」と、まずは平和を実感し、それから戦争を見つめ直すというように、恒久平和実現への入り口を逆にしてみても良いのではないだろうか。 そのために、戦争や原爆の写 真よりも安曇野の美しい自然を描いた絵を多く飾り、かつての過ちと悲惨を伝える映像や遺品よりも 心を静める陶器や工芸の品をたくさん観てもらいたい。そして心を穏やかに癒す音楽をゆっくりと聴き、ひたすら平和な時間を楽しんでほしいと考える。
つまりは、野の花を眺めて美しいと思う心、それを焼きつくす戦争を嫌う気持ち、手にすくい夢中で飲む清水(みず)を何より美味しいと感じる感性、それを汚染する核開発や環境破壊を許さない理性、平穏無事が一番幸せなのだと信じられる暮らし、愛する人との絆を引き裂く欺瞞(ぎま)んの正義を否定する勇気。そして、あらゆる差別や懐疑心から解き放たれ、この地球に生きる全ての命と自然を慈しむ想いを持つこと。そんなふうに、思うこと、考えること、感じること、願い祈ること自体が平和そのものと言えるのではないだろうか。拳を振り上げ“動く”という運動エネルギーばかりが平和活動なのではなく、平和とは、花を愛で、歌を歌い、心癒し愛し合うことであるを皆に知ってほしい。
安曇野平和芸術館の構想と理念
それは長崎から始まった……
私が初めて「長崎原爆資料館」を訪れたのは2002年のことである。
そこで私は、数々の惨状を捉えた写真や展示資料を前にし、その地獄絵図に驚愕(きょうがく)とさせられ、呆然と立ち尽くしたまま長い慟哭(どうこく)の時を過ごした。
以来、癒ることなき涙のままに私は思い続けていた。あの過ちが伝えるメッセージを、いったいどれほどの人たちが知り、かつ理解しているのだろうかと。そして、私にでき得る平和貢献とはどうあるべきかを考えた。
拳を振り上げ「戦争反対!」と声をからし街頭で叫ぶべきか、靴底を減らし署名や募金活動に奔走するべきなのか、あるいはNGOの海外支援にでも参加して勇往邁進するのがそれなのか。
残念ながらどれも横着者の私の柄ではなく、結局は何もできないでいる非力な自分に落胆しつつ しばしの時を過ごしていた。
そんなある日、知人の誘いを受け松本市主催の市民フォーラムに参加をした。
普段はそうした類いの会合に行くことをあまり積極的としていなかった私ではあるけれど、案外に出会いとはそうしたもので、そのことが切っ掛けとなり「安曇野平和芸術館」設立への構想を明確に得るに至ったのである。
終会後、平和問題をテーマにする分科会に参加したところ、その席で あるご婦人が発言した。
「あの忌(いま)わしき過去の戦争を決して忘れてはいけない。そして今の若者世代に語り継ぐべき責務が我々にあります。
だから私は、町の公民館や学校の講堂を借りたりしながら、私設の『原爆・戦争展』を開催して全国を行脚(あんぎゃ)して歩いています。
いつであったか、ある町の小学校でいつものように戦争写真と原爆絵の展示会を催した時のことです。一人の若い先生が私のところへ寄って来て、『あなたは何故こんな悲惨な写真を子供たちに見せ付けるんですか』とクレームを言うのです。私は即座に反論し『悲惨であるからこそ観てほしいのです。子供たちの目と脳裏にこの惨劇を焼き付け、戦争を憎み、絶対にあの過ちを繰り返してはいけないと心に誓ってほしいんですよ…』と語気を強めて訴えました。ところが、その先生は更に言いました『あなたの言う通り、もしこれが必要なものなのであれば歴史の教科書に必ず載るはずでしょう。それが無いということは、やはり不要なものだということじゃないんですか』って。私は呆れるやら悲しいやら、とにかく現代教育への歪みに腹が立つような思いでその場を去りました…」。
全くその通りだ…。婦人に共感と同情の意を寄せない者はその会場に一人もいなかった。
けれど、私はあえて逆のことを言ってしまった。
「おっしゃる通りであり、それは その先生に間違いがあるでしょう。ですが、大上段にかまえて『さぁ見ろ、さぁ泣け』と言わんように無理矢理に見せるのもいかがなものでしょうか。
例えば、母が子を産む出産シーンや人体を切り裂く医療映像を私たちはテレビ番組などで時々目にすることがありますが、それに対し、いくら神聖なるもの尊いものと言われても目を背けずにはいられない場合があるように、人は習慣的に慣れていないものへの違和感を隠すことができません。
確かに、心の無垢な子供たちにこそ観てもらいたいということへは同感しますし、もちろん、過去の過ちに目を背けず、今どこかで起きている不幸(戦争や飢餓)を直視して心を傷めるのは絶対に必要なことです。
現に私自身も、それに大いに涙をし反戦平和への想いを強めた者の一人です。
でもそれは、誰にも共通して受け入れられるものではなく、罪人の吊るし上げを見せ付けるような過激な暴力にも間々なりかねません。それに、ちょっと気の弱い子供であればその場で卒倒し、夜にうなされ、トラウマにだってなってしまうかも知れません。だから、その若い先生も立場上やむをえない発言だったのかもわかりませんよ…」。
会場内におき比較的歳若い私が苦言を呈するなどという不遜(ふそん)なつもりは毛頭なく、その意図は婦人の善行を批判するところには決してなかった。
けれど、その時気づいたものがある。それは“動く”という運動エネルギーばかりが平和活動ではないということ。力ある者は積極行動の意気を持ち、高く声を発するも良い。そして、それは大いに感心するものだ。
しかし、本当の目的は戦争の傷痕を悲しみ、過ちを犯した者たちを憎み続けることではない。世界のどこからも差別 や貧困という不幸がなくなり、誰もが平和を等しく手にすることである。 それが現実のものとなるならば、これまでの過ちは全て不問とされても良い。
大切なのは、拳を振り上げシュプレヒコールすることではなく、一人一人が真の平和を心から希求し、エゴと偏見を捨て、許し認めあうことなのだ。
かつてジョン・F・ケネディは言った「人類にとっての真の勝利は共存と和解である。少なくとも、誰もが子供たちの未来を大切に想うという点においては相違ないのだから…」。
施設の役割とコーナー紹介
1. 絵画鑑賞コーナー
安曇野を歩くとき「石を投げれば絵描きに当たる」などと言われるように、ここは日本一(?)画家が多く集まる土地だとか・・・。
地元の画家さんを中心にして、信州安曇野と平和を愛する方々に協力を願い、できるだけ沢山の作品を皆さんに観てもらいたいと思います。
定期的にイベントを催し、プロ or アマを問わない企画による作品発表をいたします。
また、展示即売や注文作画の取り次ぎを行い、賛助会員には特典として特価にて購入して頂けます。
2. 陶芸・工芸品コーナー
絵に同様、安曇野は芸術に陶酔する気分にさせる不思議なところです。地元に根づく陶芸家ならび工芸家の協力を得、定期的な個展を催します。 また、展示即売や注文製作の取り次ぎを行い、賛助会員様には特典として特価にて購入して頂けます。
3. 音楽鑑賞コーナー
穏やかな気持ちと平和的なイメージを永続するため、良い音楽を(単にB.G.Mではなく)ソファーに深く腰掛け、良質な音と充足する音量 で聴いていただく、深い癒しとくつろぎを目的にしたスペースです。
4. 戦争・平和研究関連の書籍及び資料の閲覧コーナー
戦争や平和研究関連の書籍・資料・写真集などを自由にご覧いただき、DVDやパソコンにより目と耳からの情報学習を得るコーナーです。日頃は意識して考えることの少ない、世界各地での紛争や飢饉・環境問題等に向き合う時間をもって下さい。
5. 談話コーナー
堅い話も軟らかい話も、自由に歓談してください。ただし、議論・論争は禁物です。議論は小さな戦争の始まりであり、意見・思想の相違により生じる怒りのエネルギーは必ずエゴのぶつかりあいを生み、利己主義の誇示へとつながるからです。正義や正論などというものは、平和のなんら役に立たないのです。
6. 特別展示コーナー
学徒出陣で特攻に散った「上原良司」という青年を知っていますか。安曇野に生まれ育ち、軍国主義盛りし時代に「自由主義」を語りはばからなかった 郷土が誇りし英雄の人。未来へ平和をたくした上原氏の遺文や写真等の貴重な資料をここに常設展示し、時節に応じたテーマの企画展などを催します。
7. 販売コーナー
絵画・陶芸品・工芸品の他、書籍・音 楽CD・オリジナルグッズなどの販 売を行い、それによる収益を平和 事業推進及び施設運営費の一助 とさせていただきます。
その他の計画
- 音楽コンサートなどの大小イベントを随時開催し、年に1度(8月)は「安曇野なごみ芸術祭」と銘打った、大規模な平和フェスティバルを企画します。
- 会員限定による宿泊施設の設置を検討します。賛助会員様には格安料金の設定が考慮されます。