12. 白夜の車窓にて
その時私は、ストックホルム行きの夜行列車に揺られながらペンを執っていた。翌日ストックホルムへ戻り、その次の日の便で日本に帰ることになっていた。
『 拝啓 スティーグ そして トモコ へ……
私は今、スティーグにもらったインド音楽のCD(Abida Parveen)を聞きながら君たちのことを思い出している。インドの歌を聴いてスウェーデンの旅のことを思い出すなんていかにも妙な話だけれど、なぜかそうなのだから仕方がない。このマイナーコードの曲調がたまらなく私の胸をくすぐるのだ。
君たちと少し感傷的な別れをしてから、まだ何時間と経っていないのに、2人のことが懐かしくさえ想えている。スーツを着ることもなく、髪をとかす必要もなく、髭を剃るのさえ3日に1度という生活に慣れてしまっていたけれど、それももうすぐ終わる。好むと好まざるとにかかわらず、あそこ(日本)が私の居場所なのだ。時計と携帯電話に縛られる暮らしがまた始まろうとしている。
遠くの山並になかなか沈まない夕陽を見ながら、ふと、あの静かな目を思い出した。スティーグがインドを旅した時の写 真アルバムにあった、一人の老人の目である。その写真がモノクロ撮影であったことと、スティーグお気に入りのインドミュージックの演出効果 も手伝い、あの時私は何か幻想的な気分にさせられていた。悲しいほど深いその目に、私は無抵抗に吸い寄せられた。
彼はずっと昔からそこに座っていたのだろう。そして、これからもずっとそこにいる。酒や娯楽で足りないものを満たす必要もない。それでも彼の心は至福なのだ。
その時、私の心の隅に羨望(せんぼう)と自己嫌悪の気持ちが湧いたのを覚えている。』
(※これは、実際には出さなかった心の手紙である)
長いはずで短かった旅の出来事を思い返す。夜汽車というのはそうした場面に似つかわしい。特に、北欧の白夜の森を走るこの旅情は格別 だ。
座り心地の悪い寝台の上で少し伸びをした。イヤホンが耳から外れ、カタンカタンというレールの音が聞こえた。列車の振動音が、これほど心地良いBGMに感じるシーンも多くはない。
……もう語るべき言葉が見つからない。
目次
(※青色のページが開けます。)
プロローグ
第一章 旅立ちの時
- ストックホルムの光と影
- この国との出会い
- 晴天の雲の下
- バックパッカー デビューの日
- 袖すれあう旅の縁
- 百年前の花屋は今も花屋
- 郷愁のガムラスタン散歩
- バルト海の夕暮れ
- 船室での一夜
- これぞ究極のアンティーク
- 古(いにしえ)の里スカンセン
- 過信は禁物-1[ストックホルム発・ボルネス行 列車での失敗]
- そして タクシー事件
第二章 解放の時
- 森と湖の都ヘルシングランド
- 森の木に抱かれて
- 静かなる自然の抱擁
- 小さな拷問
- 私は珍獣パンダ
- ダーラナへの道-左ハンドルのスリル-
- Kiren
- 故郷の色"ファールン"
- ダーラナの赤い道
- ダーラナホースに会いにきた
- ムース注意!
- 白夜の太陽
- 過信は禁物-2[ボルネス発・ルレオ行 またも列車での失敗]
第三章 静寂の時
- 北の国 ルレオでの再会
- 雪と氷のサマーハウス
- 白夜の国のサマーライフ
- 焚き火の日
- ガラクタ屋とスティーグ
- ミスター・ヤンネ と ミセス・イボンヌ
- 田んぼん中の"ラーダ"
- 中世の都 ガンメルスタード
- 余情つくせぬ古都への想い
- 流氷のささやきに心奪われ
- 最後の晩餐-ウルルン風-
- 白夜の車窓にて
- ストックホルムのスシバー
- 旅のおまけ["モスクワ"フシギ録]
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