9. 余情つくせぬ古都への想い
ある日、どこか見たいところがあれば車でつれて行ってあげるぞ、とスティーグが言った。特にないと言うと、「本当はもう一度ガンメルスタードに行きたいんじゃない?」とトモコが私の心を見透かしたように、ニヤリとしながら言った。実はその通 りであった。すでにガンメルスタードの虜となっていた私は、一人でゆっくり歩いてみたいと思っていた。
1週間に3度もガンメルスタードへ行った人は見たことがないと2人に呆れられたが、かまいやしない。トモコを彼女の職場である大学まで送り届け、それからスティーグにガンメルスタードの街の入口付近まで車で送ってもらった。4時間後にまた迎えに来てもらうように頼み、別 れた。
2度も見にきているので、目新しいものはほとんどないはずであった。しかし、そうではない。そもそもが、その日は前の時とは違い天気が良く、散策にうってつけの小春日和である。
この前見たウッドシングルの工場もパン工房も今日は誰もいない。その代わり、前に来た時には閉まっていた皮細工屋が開いていた。私好みの、厚手の皮バッグや帽子などがいっぱい置いてある。どれもみな高価なので買いやしないのだけれど、見ているだけで楽しい。私は、カメラのショルダーベルトの端が切れかかっていたのを思い出し、それを頼んで修理してもらった。何も買わなくても、それだけで充分な土産を手にした気分になれた。
その昔、船のキャプテンが住んでいたという家は、今ではレストランになっている。北側に面 した壁の方が、木の痩せ方が一層はげしいのが見てとれる。元市長の家は、別な個人が住んでいるので中を見ることができない。古い馬小屋は公衆トイレに、以前港だったと言われる場所はとっくの昔に地面 が隆起してしまい、その姿を止めておらず、史跡とも思えぬ井戸のカランが1つあるだけだった。ガイドマップに従い、そんなところを虱つぶしに見て回った。
玄関先で家具の修理をしていた地元の人にも声をかけてみたけれど、私のブロークン英語を理解してもらえず会話にならない。それでも、ただ歩いているだけで面 白く、ただ眺めているだけで満足していた。
もう心残りはない、というほどに隅から隅まで存分に歩き回り、あっと言う間に時間が過ぎた。
そろそろスティーグが迎えに来てしまう時間が近づいている。待ち合わせ場所である、旧納税署前のインフォメーションへ向かおうとしていた。
小さな家の玄関の前で立ち話をしていた夫婦に“ハーィ”と声をかけられた。立ち止まり、半分開いたドアの中を覗きたがっている私の様子を見て取ったらしく、中が見たいかと旦那の方が言った。本当に良いのか、と少し大袈裟に喜び中へ入れてもらった。
極端な言い方をすると、クルーザーの船底のように狭い部屋という印象である。もちろん、そんな感想は当人たちには言わず、素晴しい、素敵だを連発した。でも本当に素晴しかった。古い家具と暖炉があり、壁には古写 真の額が飾ってある。こうした家にあるべき三種の神器だ。
部屋の隅には戸棚のような小さな囲いがある。冬の寒さをしのぐために扉が付けられたベッドだ。同じものを以前ノルウェーのミュージアムでも見たことがあったのですぐに分った。北欧に住む人たちの暮らしの知恵だ。
礼を言い外に出ると、「このドアは18世紀からのものであり、私たちはこれを誇りにしている」と彼が言った。
(後半省略)
目次
(※青色のページが開けます。)
プロローグ
第一章 旅立ちの時
- ストックホルムの光と影
- この国との出会い
- 晴天の雲の下
- バックパッカー デビューの日
- 袖すれあう旅の縁
- 百年前の花屋は今も花屋
- 郷愁のガムラスタン散歩
- バルト海の夕暮れ
- 船室での一夜
- これぞ究極のアンティーク
- 古(いにしえ)の里スカンセン
- 過信は禁物-1[ストックホルム発・ボルネス行 列車での失敗]
- そして タクシー事件
第二章 解放の時
- 森と湖の都ヘルシングランド
- 森の木に抱かれて
- 静かなる自然の抱擁
- 小さな拷問
- 私は珍獣パンダ
- ダーラナへの道-左ハンドルのスリル-
- Kiren
- 故郷の色"ファールン"
- ダーラナの赤い道
- ダーラナホースに会いにきた
- ムース注意!
- 白夜の太陽
- 過信は禁物-2[ボルネス発・ルレオ行 またも列車での失敗]
第三章 静寂の時
- 北の国 ルレオでの再会
- 雪と氷のサマーハウス
- 白夜の国のサマーライフ
- 焚き火の日
- ガラクタ屋とスティーグ
- ミスター・ヤンネ と ミセス・イボンヌ
- 田んぼん中の"ラーダ"
- 中世の都 ガンメルスタード
- 余情つくせぬ古都への想い
- 流氷のささやきに心奪われ
- 最後の晩餐-ウルルン風-
- 白夜の車窓にて
- ストックホルムのスシバー
- 旅のおまけ["モスクワ"フシギ録]
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