2012/04/20
随分と久しぶりの墓参であった。
先祖供養をないがしろとするわけでは毛頭なきながら、事のついででもなければ足を向けようとしない不敬は否めない。
まずは本堂へ上がり、着山の挨拶と無沙汰への詫びを住職尊師へ申し上げた。
尊師は口元に銀歯の笑顔で迎えて下さり、「もう陽が傾くから急いで(お墓に)行ってらっしゃい……」と、私の手に線香を持たせた。
墓参をすませ本堂へ戻ると、勤行を終えた尊師は私に対峙して座わられた。
「ご商売はどうですか……」と尋ねられ、「青息吐息ですが、まぁ、何とか息をしています……」と、私は頭をかいて恐縮した。
私は、かねてよりの疑問を問おてたずねた。「私ども凡夫は、何事も仏陀(釈迦)の手のひらで遊んでいる孫悟空の如きものと、世間でもよく例えられますが、ならば、願う、祈るなどという行為こそは浅はか無意なこと。つまりは、その者が欲する要不要の全ては天に見すかされている事であり、仏意の掌(たなごころ)に任せるより外なきものなのでは……」と。今さらの愚問に尊師は呆れ顔もしない。
尊師、答えて曰く「日蓮大聖人ですら、誓願をたて、決意し、祈り願ったのだから、我ら凡夫が願ってはならぬという道理はない。」と、きっぱりと申され、「ただし……」と、話をつづけた。
「ただし、その願いは、あれが欲しいこれが欲しいといった乞食信心……『私利私欲』のものであってはいけません。必ず『公利・公欲』であり、『法道』に叶うことでなければなりません」。
つまり、自分の我欲のためではなく、公(おおやけ)のためになる仕事であり願いであれば、どれほど欲張っても良いという事らしい。
そうしてみれば、私が敬愛する坂本龍馬こそは、あの時代における、まさしく公利公欲の唯一の人物だったと言って良いと思う。
何ら後ろ盾を持たず、我が出身藩でもない薩摩と長州を結びつけ、政治結社に属することもなく大政奉還の偉業を成し遂げ、さらには手柄の全てを他人にくれてしまうという言動の基には、微塵の私欲もなかったと断言できる。おそらく、交易に生業を求めた龍馬は、日本の明日を創り公に役立つため銭と運を俺にくれ……と、天に願ったのではないだろうか。
そして礎石となり、役目が終わった途端、船中八策と新官制議定書を置土産に天に命を返した。
それであるが故に、死した後にも意思は継承され、日本は変わっていった。
(※後の日本を軍事帝国へ変貌させたのは、龍馬の意を汲まぬ幕末維新のカスどもだ)。
いったい、この私にそのような決意と使命感が持てるだろうか。何をどうすれば良いか分からぬ不安を、きたんすることなく善導を乞うた。
尊師はさらに「因果(いんが)」について説諭した。「世間では『因果』の『果』ばかりを見ようとするけれど、『因』を知らなければ何も変わりはしない……」。
(※因果とは、原因と結果のこと。過去あるいは前世で行った善行や悪業が今の結果を成すという仏語)。
「本来、利益(りやく)も功徳(くどく)も試練(しれん)も色に見えるものではなく、金が儲かったからとて利益とは限らず、正気を失い道を誤る例もあり。また、病を得たからとて罰ではなく、大病への示唆であるやもしれぬもの。
因果は応報(おうほう=行いに応じて禍福の報いを受けること)であるゆえに、何も心配いりませんよ」。
過分なる啓示・教導であった。
『因』を知らぬまま、やみくもに結果を求めて盲動しようとしていた私の様を、おそらく尊師は見抜かれていたのだろう。
全てが腑に落ちる思いに、いつしか涙を落とす自分がいた。
所詮、人生は悲喜こもごも……、禍福はあざなえる縄の如。
何とかなるさ……と、胸のつかえがとれた不思議な一時を過ごした。
コメントをつける