あなたへ花を捧げたい
戦場カメラマンとして世に知られる、「ロバート・キャパ(1913-1954)」の写真展を見てきた……。
何一つ益するべきものを生まない〝戦争〟という概念そのものを強く憎悪していた彼は、1913年ハンガリー・ブダペスト生まれのユダヤ人だ(後にアメリカ国籍を取得)。14才で始めてカメラを握り、18才の頃より報道カメラマンとして数々の戦場へ従軍し、その悲劇を我が目とフィルムに焼き付け今へ残した。そして遂に1954年、41才の若さで、インドシナ戦線に取材中、誤り地雷を踏みこの世を去った。
大きな勘違いをしていたアメリカ政府は、彼の死に名誉を与えるため、戦死した兵士ばかりが眠る事で有名な「アーリントン墓地」に埋葬することを勧めた。彼の母は、「私の息子は兵隊ではなく、平和を願う一人の人間だった!」と言い、毅然たる態度でその申し出を拒否した。故に彼の墓石には、ただ「平和 peace」とだけ深く刻まれているのみで、何の功績も名望も記されてはいない。
はじめ私は、戦争を受賞の種や栄誉栄達の道具と考えるような、戦場カメラマンというものに少なからぬ 偏見を持っていた。しかし、彼の場合はまったくその謗そしりがあてはまらないということを知らされた。
生前の彼は、戦場の兵士のみならず、恐怖する市民や難民たちの姿もカメラに多く収めた。とりわけ、傷つき脅え悲しむ子供たちの哀れむべき姿をよく撮った。目を逸らさず、この事実を後世に伝えなければならないと考えていたのだ。罪なき子供たちの心に深い傷痕を刻ませた権力への怒りと、そこに居ながらにして何も為す術を持たない自らへの憤りがシャッターを押し続けさせた。そして彼は、「人々の傍らに座る私には、この人たちの苦しみと悲しみを記録する事より他は何もできない……」といつも嘆き涙をした。そしてさらに「私は戦争写真家として、早くこんな仕事がなくなり失業してしまえる事を待ち望んでいるんだよ……」と話していたという。
目次Contents
プロローグPrologue
第一章「戦争を見つめる」
- 原爆の爪痕 長崎原爆資料館にて
- 広島の黒い空
- 赤と黒だけの世界
- 悲惨な戦争
- 扉は必ず開かれる
- ケネディの遺言
- 共感共苦
- ソクラテスの憂鬱
- 一番になりたい症候群
- 天下の御意見番
- 大地の子
- 何ゆえの犠牲
- 鍬と胸飾と笛
第二章「平和を考える」
第三章「未来(あす)を望む」
- 平和への入口
- 音楽が伝えるもの
- 心のとまりぎ 安曇野平和芸術館の構想
- 泣けることの幸せ
- 無量の感謝
- 心の蘇生
- フラワーチルドレン
- あなたへ花を捧げたい
- 命こそ宝(ヌチドゥタカラ)
- 打ちそこねた終止符
- 炭坑のカナリア
- すれちがう言葉
- 確かな言葉
- 歓喜(よろこび)の歌
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