恨み 戦後六十年の敗戦記念日に思う
「恨みや憎しみからは決して平和は産まれない」。
そうつぶやく時、「結局、自分があの惨禍を体験していないから言える無責任な言葉ではないか」と、自省する想いがよぎる。
60年前の8月、大きなキノコ雲の下に消えた命、そして今もその辛い記憶と重い病苦(原爆症)を引きずりながら生きている人々。
握る拳に涙を落とし「原爆が憎い……戦争が憎い……アメリカが憎い」と慟哭(どうこく)する彼ら被爆者に私はいったい何と言葉をかければ良いのだろうか。同情と共感を極めることは言うにおよばぬ けれど、やはり「恨みと憎しみを捨てるよりはない」と言わざるをえない。
戦後60年を経た今、以来はじめて広島の地を踏んだ一人の老人がいる。名をハロルド・アグニュー という。
彼は原爆の開発に携わった科学者グループの一員であり、その悪魔の情景を上空からビデオ撮影した重要な証人でもある。
彼は「広島平和記念資料館」を訪れた後、二人の被爆者と面談した。
いろいろと話した最後に「私は決して謝罪しない。戦時下においては全ての人に罪があった。銃弾で死ぬ か、爆弾で死ぬか、原爆で死んだかだけの違いにすぎない」と悪びれることもなく言った。
「君たちは『 Remember Pearl Harbor リメンバー・パール・ハーバー(真珠湾攻撃を忘れるな)』という言葉を知っているか。私たちはあの真珠湾の奇襲攻撃(1941年12月8 日)により多くの友を失った。だから原爆投下はその報復である。そもそもあの戦争は日本人が始めたものなのだから、広島も長崎も、戦争による全ての痛みは自業自得なのだ。それでも誰かを批難したいのなら(旧)日本軍を批難すればいい……」と豪語した。
原爆という悪魔の道具を作ったその時点におき充分な罪を背負っているというのに、彼はそれを認めようとはしない。むしろ、その事へ目を向けることに恐れているのか。
ある年の8月6日、「広島平和祈念式典」を取材した韓国テレビ局のアナウンサーが言った。「加害者であるはずの日本が、ここでは被害者のように見えます」。
因果応報(いんがおうほう)……。つまりは、どちらの国も、どの国も、被害者であると同時に加害者でもあるのだ。
(中略)
結局、一番大切なことは何なのか……。言うまでもなく「恒久平和」の一語につきる。
それであるならば、恨みも憎しみも、謝罪も反省もどうでもいい。要は、今後未来永劫に戦争をせず、核兵器を絶対に使わない(廃絶する)という誓いを約することに外ならない。
だから謝らなくていい、反省なんかしてくれなくていい。その代わり絶対に、本当に絶対に、あの過ちを二度と繰り返さないでほしい。許し合い、信じ合い、前を向いて歩いていくことが肝心なのだ。
(後半省略)
目次Contents
プロローグPrologue
第一章「戦争を見つめる」
- 原爆の爪痕 長崎原爆資料館にて
- 広島の黒い空
- 赤と黒だけの世界
- 悲惨な戦争
- 扉は必ず開かれる
- ケネディの遺言
- 共感共苦
- ソクラテスの憂鬱
- 一番になりたい症候群
- 天下の御意見番
- 大地の子
- 何ゆえの犠牲
- 鍬と胸飾と笛
第二章「平和を考える」
第三章「未来(あす)を望む」
- 平和への入口
- 音楽が伝えるもの
- 心のとまりぎ 安曇野平和芸術館の構想
- 泣けることの幸せ
- 無量の感謝
- 心の蘇生
- フラワーチルドレン
- あなたへ花を捧げたい
- 命こそ宝(ヌチドゥタカラ)
- 打ちそこねた終止符
- 炭坑のカナリア
- すれちがう言葉
- 確かな言葉
- 歓喜(よろこび)の歌
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