大和魂
(前半省略)
戦時中盛んに使われた言葉に「大和魂」というカッコ良い言葉がある。これはおそらく、幕末期に一般 化され使われだした言葉ではないかと思う。言葉そのものは千年以上も前からあったらしいのだけれど、武士の間で急に頻繁に使われるようになったのが、あのペリー来航以降の〝尊皇攘夷〟からではないかと私は想像している。「尊王攘夷=そんのうじょうい」とは、天皇を尊び夷狄(いてき=野蛮な外敵)を打ち払うといった意味なのだが、それに日本古来の精神論である「大和魂」をこじつけたわけだ。
精神論と言うよりも、ある種の宗教にも似た「大和魂」などという言葉に踊らされ、いつの世も若者は真っ先に死んでいった。
それでも、この世の使命を真っ当して死んだ幕末維新の志士たちはまだいい。例え志し半ばで死んだにせよ、吉田松陰、坂本竜馬、中岡慎太郎ら、彼らは皆、自分が生きる意味と使命をちゃんと理解し、成すべき仕事を成した上で天にその命を返した。それ故に、彼らの死により日本は大きく動いた。彼らの成した功績により、その死の後、確実に日本は変っていった。それは、彼らの戦いが決して私利私欲ではない日本の未来を見据えたものであったという何よりの証しだ。そこに、己のが勢力拡大にのみ命を掛けていた「戦国武士」と、信念と志しの為にこそ身命を賭した「幕末武士」の大きな違いを見る。
その好例をここに上げるとすれば、何といっても一介の脱藩浪人「坂本竜馬」の成し得た幾つかの偉業をおいて外にはない(竜馬という男は北辰一刀流の達人でありながら、生涯にただの一人も斬らなかったと伝えられているほど、筋金入りの平和主義者であった)。
幕末維新のさなか、坂本竜馬は犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩の橋渡しを担い「薩長同盟」を成し遂げた。互いに自尊心を振りかざす意地の張り合うところへ、「お前まんらええがげんにせんかよ。こん同盟は薩摩のためでん長州のためでんなかぜよ、日本国の未来のためのもんぜよ。どっちゃが先に頭を下げるべきなんちゅう細んまいことにこだわっとりゃ、いつまでん経たっちゃぁ天下は成らんがよ!」と一喝した。
そして遂に、武力と流血を伴わない唯一の手立である「大政奉還(たいせいほうかん)」という和敬(わけい)案に至るわけなのだが、これらの話を現在の中東問題や日中韓関係の歪みに照らしてみる時、いかに両者が大人げない喧嘩を長年続けているかが見えてくる。
それにつけても、近代、ただの戦争に奪われた多くの若い命の哀れさといったら如何ばかりのものか。彼ら皇国の兵士たちは自分の使命も知らず、死ぬ意味も解からずに逝ったのだ。「大和魂」という言葉を履き違えてはいけない。「大和魂」とは無闇と命を粗末にすることではなく、大事成就への決死の覚悟を胸に秘めつつ、しかし、絶対に生き抜くのだという信念を持ち続ける精神力のことだ。
例えば、景気低迷が続く今、この苦境を戦国時代になぞらえて、信長に学べ、秀吉、家康に倣ならえと語気を荒らげる人がいるけれど、私はそうした風潮も好きにはなれない。領土拡大のためには策謀(はかりごと)をも辞さぬといったような、私利私欲と自己顕示欲の強い者こそが英雄となった戦国時代に今さら逆行しようとでも言うのか。天下布武を旨とし権威権力を誇示するため、戦い続けていなければ、武将は武将でなくなり、国家は国家でなくなり、企業は企業でなくなるといったような、つまらない強迫観念はもう捨てるべきだ。そうした、見栄と妄想が人を狂わすのだ。
つまりは、無敗の剣豪〝宮本武蔵〟になどなってはいけないと私は言いたい。彼もその強迫観念に生涯つきまとわれた男だ。私はあの人ほど可哀想な人はないと思っている。勝つためにのみ強くなり、自ら戦いを求め、頂点を死守するために更に強くなろうとする。そして、常に敵が襲ってくる自分の背中に脅えながら生きなければならなかった。それがいったい幸せと言えるだろうか。そんな、くたびれるだけの人生など私なら真っ平ご免だ。
(後半省略)
目次Contents
プロローグPrologue
第一章「戦争を見つめる」
- 原爆の爪痕 長崎原爆資料館にて
- 広島の黒い空
- 赤と黒だけの世界
- 悲惨な戦争
- 扉は必ず開かれる
- ケネディの遺言
- 共感共苦
- ソクラテスの憂鬱
- 一番になりたい症候群
- 天下の御意見番
- 大地の子
- 何ゆえの犠牲
- 鍬と胸飾と笛
第二章「平和を考える」
第三章「未来(あす)を望む」
- 平和への入口
- 音楽が伝えるもの
- 心のとまりぎ 安曇野平和芸術館の構想
- 泣けることの幸せ
- 無量の感謝
- 心の蘇生
- フラワーチルドレン
- あなたへ花を捧げたい
- 命こそ宝(ヌチドゥタカラ)
- 打ちそこねた終止符
- 炭坑のカナリア
- すれちがう言葉
- 確かな言葉
- 歓喜(よろこび)の歌
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