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赤と黒だけの世界

「いくら語るとも、いかに描こうとも、どうしても表せないものがある。それは臭いである。人が焼け、血の流れる、あの言いようのない臭いだ……」(ある証言)

 長崎原爆資料館、広島平和記念資料館、いずれの会場でも〝原爆の絵〟の展示会が開かれていた。昭和49年から収集され、その数3000点を超えるに至っている原爆絵の作者たちのほとんどは、みな絵を描くプロではない。それである故に逆に生々しい真実を伝えており、いずれも涙なくしてはとうてい観ることが出来ない。
 真っ黒に焼けた人々が幾重にも重なり合って死んでいる、血の海の如き様。
 丸裸で皮膚を垂らし、水を求めて彷徨い歩く群衆の光景。
 目も鼻もない、まるで〝のっぺらぼう〟のように真ん丸く膨れた少年の顔。
 首が爆風で吹き飛んだ赤子を背負い、それに気付かず呆然と歩く半狂乱の女。
 死に絶えた母の乳房を健気けなげに貪る赤ん坊。
 死んで動かぬ子に必死で乳をやろうとする母。
 息絶え、冷たくなった母親の口に空き缶をあてがい、無心に水を飲まそうとする幼子。
 赤ん坊を腹の下にかばい、髪を総毛立たせ目をカッと見開いたまま死んでいる、黒焦げの女。
 子供を両手に抱え、走って逃げるような格好のまま、瞬時に焼けた死体の立像。
 さらには、倒壊した家屋の下敷きとなり、紅蓮ぐれんの火の中腕ばかりを前に突き出し、叫び、意識あるままにジリジリと音をたてて焼け死んでいく人、人、人……。そんな無惨な姿を描いた絵も何点か観た。肉親であるのか、あるいは行きずりの他人なのかはともかく、それを呆然と見送るより術を得なかった作者自身の苦しみと辛さは察っして余りある。
 どれもこれも、真っ黒と真っ赤だけの凄まじい地獄絵図であり、実際に見て来た者でなければ描くことができない悲痛の現実だ。

(中略)

 私が学生だった頃、サークル活動の一環で知人のお年寄りに戦争体験を聞かせてもらいに伺ったことがある。その方は、足の脛すねを貫通 した弾痕だんこんを見せてくれながら色々と話して下さり、最後にこう言った。「本当はあまり思い出したくもない辛い記憶なのだけれど、君たち若い人のために話しておきたいと思った……」と言い、目蓋を伏せた。
 また、私が中学の時、自らの戦争体験を木炭画に描き、まさに生死の境を潜った凄まじい戦場の惨劇を語ってくれた先生がいる。その老教師は、派手な銃撃戦や火炎放射機での戦闘風景などの絵を指しながら、「この絵をカッコイイなどとは決して思わないでくれ」と言った。
 皆、何十年もの歳月を経て、ようやくそうした気持ちになれたのだ。拭いきれない悪夢と封印していた記憶を無理に辿り、絵や言葉にすることによって後世にそれを伝え残す義務を感じ得たのだろう。

(後半省略)

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目次Contents

プロローグPrologue

第一章「戦争を見つめる」

  1. 原爆の爪痕 長崎原爆資料館にて
  2. 広島の黒い空
  3. 赤と黒だけの世界
  4. 悲惨な戦争
  5. 扉は必ず開かれる
  6. ケネディの遺言
  7. 共感共苦
  8. ソクラテスの憂鬱
  9. 一番になりたい症候群
  10. 天下の御意見番
  11. 大地の子
  12. 何ゆえの犠牲
  13. 鍬と胸飾と笛

第二章「平和を考える」

  1. 旅の途上
  2. 長崎の空に想う
  3. 売らない作家
  4. 備前の土と一期一会
  5. 広島の青い空
  6. 1900通の未練
  7. 非競争の論理
  8. 仰ぎ見る空
  9. 弱く優しき者
  10. 大和魂
  11. 優しさの代償
  12. 聖戦の果て
  13. 恨み 戦後60年の日に想う
  14. 風月同天(ふうげつどうてん)
  15. 戦いのトラウマ

第三章「未来(あす)を望む」

  1. 平和への入口
  2. 音楽が伝えるもの
  3. 心のとまりぎ 安曇野平和芸術館の構想
  4. 泣けることの幸せ
  5. 無量の感謝
  6. 心の蘇生
  7. フラワーチルドレン
  8. あなたへ花を捧げたい
  9. 命こそ宝(ヌチドゥタカラ)
  10. 打ちそこねた終止符
  11. 炭坑のカナリア
  12. すれちがう言葉
  13. 確かな言葉
  14. 歓喜(よろこび)の歌

エピローグEpilogue

著者背景


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